T音の思念性(思念性とは想念作用)とO音の対象感(目標感のある客観的存在化作用)により思念的同動が表現される。「AとB」と言った場合、「A」という思念的客観的存在化作用のある「B」が表現される。それがなぜ「A」と「B」の同動になるのかと言えば、「B」が「A」という思念作用(想念作用)が作用することとなるから、ということです(「AとB」においてAが名詞(名態)Bが動詞(動態)なら動態Bは名態Aが作用している動態となり、Aが動詞(動態)Bが動詞(動態)なら動態Bは動態Aが作用している動態となる)。その場合、たとえば「花と龍」と言った場合、「龍」が「花」という思念作用が作用することとなるとは、龍と花が(花と龍が)等価的に、並立的に、作用することにもなりますが、それだけではなく、それは、花としてある龍、花として作用する龍、という意味にもなる。「山と花」なども、「山」と「花」が並立的に並びもし、山としてある花、山として作用する花、という意味にもなる(花が山の状態である)。
この「AとB」の「B」が動態であり、たとえば「花と散る」の場合、(花と一緒に散る、の意味にもなりますが)散る動態が花としてある。散ることが花として作用する。これも、たとえば「女と生き」と言った場合、「と」が並立的な作用を果たし、女と一緒に生きる、という意味にもなり、そうした表現の方がむしろ一般的であすが、これも、「花と散る」のように、生きる動態が女としてある、生きることが女として作用する表現も可能です(「女として生き」という意味になる)。
「言問はぬ木すら妹(いも)と(與)兄(せ)ありといふをただ独(ひと)り子にあるが苦しさ」(万1007:「AとB」のA・B双方が名詞)。
「吾が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の懽(うれ)しからまし」(万1658)。
「梯立(はした)ての倉椅山(くらはしやま)は嶮(さが)しけど妹(いも)と登れば嶮(さが)しくもあらず」(『古事記』歌謡71:「AとB」のAは名詞、Bは動詞)。
「宮人(みやひと)の足結(あゆ)ひの小鈴(こすず)落ちにきと宮人響(とよ)む里人(さとびと)もゆめ」(『古事記』歌謡82:「小鈴(こすず)落ちにき」が宮人が響(とよ)む(騒ぎたてている)その内容になっている。Bは意思動態Aはその内容。おなじような「と」の用い方としては「と言う」、「と思う」、「と聞く」、「と見る」など)。「我ぎ妹子(わぎもこ)が奥つ城(おくつき)と思へば愛(は)しき…」(万474)。「…鏡の山を宮と定むる」(万417:これは、Bが、意思動態というか、魂。「鏡の山」にある人が葬(はふ)られている歌)。
「…神ながら 神といませば…」(万204)。「…雪と降りけむ」(万3906)。「なかなかに人とあらずは酒壺(さかつぼ)になりにてしかも…」(万3086:「とあり」の否定)。これらはBが動詞であり事象動態(事象があることを表現する動詞)。同じような「と」の用い方としては「となる」、「とする」、など。
「…この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも」(万3270:「AとB」のAは擬音、Bは動詞)。同じような「と」の用い方としては「トントンと叩く」、「くるくると回る」(これはAが擬態)、「ふはふはと舞ふ」、その他。
「『かたち(容貌)などは、かのむかしの夕顔とおとらじや」』」(『源氏物語』)。Bが相対的関係を表現する動詞や形容詞。ほかに同じような「と」の用い方としては「と等しい」、「と同じ」、「と近い」など。これらは「と」ではなく「に」でも言う。
・動詞や形容詞で想念的表現を重ねることでそれらを強調する。「秋風のふきとふきぬる武蔵野は…」(『古今集』)。「食ひと食ひたる人々」(『宇治拾遺物語』)。ほかには「ありとある」、「生きとし生ける」、「嬉しとも嬉し」(これは形容詞であり、「とも」)。
・~と~と、と、選択的にものや動態をその選択の対象として確認的に提示することもある。「うちなびく春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか分かむ」(万826:これが「春の柳」、これが「梅の花」、と判別確認する)、「ゆく水と過ぐるよはひと散る花といづれ待ててふことを聞くらむ」(『伊勢物語』50:~と~と~と、どこに『待て(とどまれ)』と言って効果があるだろう。この「~と」は続く部分に作用させて読むこともさせずに読むこともできる)。「行こうと行くまいと」。
・「と」が思念性・想念性作用一般を刺激しそれを表現する。「宮をばとある辻堂の内に置き奉りて」(『太平記』)。
「と、そのとき」。「とある日」その他。
「とかく」、「とにかくに」、「とにかく」、「とさまかくさま」、「とみかくみ(と見かく見)」、「とやかく」その他。「とかく」は、「と」が思念的・想念的であり、「かく(斯く)」が現状的であり、現代的に言えば、あれこれ、ということ。「蓬莱の玉の枝をひとつの所あやまたずもておはしませり。何をもちてとかく申すべき」(『竹取物語』:なにをもって、どういう根拠で、あれこれ言う)。「とかくこの世は住みにくい」。