◎「と(門)」
「うちよ(内世)」。「う」は退行化した。つまり、「ちよ」が「と」になっているような変化ですが、古代においては後世よりも子音は明瞭であり、「ち」は後世の「てぃ」に近い音(オン)であったと思われます。つまり、「てぃよ→と」のような変化。「よ(世)」は外的世界、環境世界を表現し、「うちよ(内世)→と」は、内(うち)でも世(よ)でもある場(ば)、の意。ある限定的な域の、その域にとっての外(そと)と行き来する場。ある海域・水域が「うち(内)」を形成するような地形がある場合(つまり、ある小海域・小水域が囲まれるような地形がある場合)、そこへ出入りする限定的場も「と(門)」と言う(→「みと(水門)」「かはと(川門)」:「一云 潮(みと)見ゆ」(万253)、「かはと(川門)」(万859))。
◎「と(門・戸)」
「と(門)」(その項)は「ある限定的な域の、その域にとっての外(そと)と行き来する場」ですが、「や(屋・家)」たる物的施設にもそれはあり、そこに特別に設けられた物的施設も「と(戸)」と呼ばれた。つまり、「と(戸)」は「と(門)」のもの、ということ。その、「や(屋・家)」が設置された土地域も限定域となり、その土地域にも「と(門)」はあり、これは「かど(門)」になり、その物的施設は後世では通常、漢語で「モン(門)」と言われるようになっていく。
「由良のと(斗:門)の となか(斗那賀:門中)の海石(いくり)に…」(『古事記』歌謡75:「由良の門」は由良海峡(和歌山県と淡路島の間))。
「爾(ここに)多遲摩毛理(たぢまもり)、………縵四縵(かげよかげ)・矛四矛(ほこよほこ)を、天皇(すめらみこと)の御陵(みささぎ)の戸に獻り置きて、其(そ)の木實(このみ)を擎(ささ)げて」(『古事記』)。
「…己がを(緒)を盗みしせむと 後(しり)つと(門・戸)よ い行き違(たが)ひ 前(まへ)つと(門・戸)よ い行き違(たが)ひ…」(『古事記』歌謡23)。
「戸 ……在城郭曰門在屋堂曰戸」(『和名類聚鈔』:城郭にあるのが門、屋堂にあるのが戸、ということか。つまり「門」も「戸」も同じということ。ちなみに「戸」は「門」の半字)。
「誰(たれ)ぞこの屋の戸押そぶる新嘗(にふなみ)に我が背を遣りて斎(いは)ふこの戸を」(万3460:この「と(戸)」は家屋の出入り口にある開閉できる物的施設。夫の留守中にその戸を揺すった男がいたわけです)。
「門(かど)立てて戸は闔たれど盗人の穿(ほ)れる穴より入りて見えけむ」(万3118:「闔(カフ)」は前の万3117では「閉(ヘイ)」と書かれ、一般に「さし(鎖し)たれど」と読まれていますが、「とぢたれど(閉ぢたれど)」の方が自然でしょう。門を立て(内と外の境界が造られ)そこに設置された扉が閉ぢられた。門を立てそこに開かぬよう物的装置が設置され「さされた(鎖された)」という表現は不自然に思われます)。