「つひゆいよおほし(終ゆ愈大し)」。「ゆ」は経験経過を表現する助詞(その項)。「いよ(愈)」は勢いをもって、程度を増し、進んで行くこと(その項)。「つひゆいよおほし(終ゆ愈大し)→つよし」は、終局を迎え愈々(いよいよ)「おほ(大・多)」に、規模や力が増大していく印象に、なるということ。すべてが終焉した終局を迎えさらに存在感が累進的に増していく。あるものやことが、そのものやこととして終焉すると思われる終局にあり、その経験経過にそのものやことが終焉せずそのものやことが保持されるとき、そこに意外な驚き、感銘が起こる。それが「つよし」。
「(金剛定(最も安定した境地)に入る時に)唯、菩提樹ノ下ノミ堅(ツヨ)ク全(マタ)クシテ振(フル)ヒ裂(サ)ケズ」(『東大寺諷誦文稿』)。
「人柄のたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず」(『源氏物語』:対人関係的に、社会的に強くあることを意図的に努力した)。
「友とするにわろき者七つあり…………三つには病なく身つよき人…」(『徒然草』:病なく身つよき人は友とするに悪き人だそうです。吉田兼好はそう言っている)。
「此客悪い事には覚え強く」(「浮世草子」『世間胸算用』:悪いことに、ものごとの覚えがよく(いろいろなことをよく覚えていて)。ものごとの記憶能力が強い)。
「先ノ人ハ謀(ハカリゴト)ヲヂナシ。我(ア)ハ能(ヨ)クツヨク(都與久)謀(ハカり)テ必(カナラズ)得テムト念(オモヒ)テ…」(『続日本紀』宣命:これは、強いのは「こと」であり、それが社会的作用として自己保持力がある。つまり、効果的)。
「ぢもく(除目)のあした(朝)より手をつよくにぎりて、……………病づきて、七日といふにうせ給ひしに、握り給ひたりけるおよび(お指)はあまりつよくてうへにこそ通りていで給へりけれ」(『大鏡』)。