◎「つゆ(梅雨)」

「ツイウ(追雨)」。どちらも漢字の音(オン)。追うように雨が次々と降ること、そうした時期。月暦五月頃の雨。この頃の雨は「さみだれ(五月雨)」とも言う。漢字表記は一般に「梅雨(バイウ)」。「黴雨(バイウ)」とも書きますが、「黴(かび)」の字は汚らしいということで、「梅雨」が一般的になっている(『書言字考』には、衣に生じた黒い黴を梅葉湯で洗う、といったことも書かれている)。ならば「ばいう」の語源は?ということになるわけですが、「黴雨」「梅雨」という中国語だという説もある(音(オン)は異なるが)。思うに、これは「バイふウ(売「ふ」雨)」でしょう。意味は、「ふ」(負(フ)でもある)を売る雨。どういうことかと言うと、「ふ」を売って、「ふる(降る)」を「うる(売る)」にする雨。被害や損失にするのではなく、繁栄、豊かさにする雨。

「雩 ツユ 又作墜栗 ツユ」(『雑字類書』(1688年):「つゆ(梅雨)」は「墜栗」や「墜栗花」とも書いた)。

「此月淫雨降り、梅雨(つゆ)と名づく。又黴雨(ばいう)ともかけり」(『日本歳時記』)。

 

◎「つゆ」

「つゆゆ(露揺)」。「つゆ(露)」はその項。「ゆ(揺)」は、「ゆり(揺り)」「ゆし(揺し)」にあるそれであり、構成力の弛緩、動揺を表現する。つまり、「つゆゆ(露揺)」は露(つゆ)の動揺、揺れであり、微細な露の揺れであり、ささいな、それがあることが気づかれもしないような些細な変動を意味する。この語は「つゆゆに(露揺に)→つゆに」のように、動態を形容し、たとえば、「つゆゆにうごく(露揺に動く)→つゆにうごく」「つゆうごく」なら、動いたと気づきも起こらないほど些細に動く。「つゆ動かば」は、微(かす)かにでも動けば、という意味になる。「つゆみ(つゆ見)」は、あれを見これを見たと気づきも起こらないほど些細に見ていく。否定をともない、「つゆ動かず」なら、動いたと気づきも起こらないほど動かない→まったく動かない。この、否定をともなった「つゆ~ない(~ず)」という表現が多い→「そんなこととはつゆ知らず」。

この語による「つやつや」という表現もある(その項)。

「思へば、船に乗りてありく人ばかり(そういう人ほど)あさましうゆゆしきものこそなけれ。……………下衆どものいささかおそろしとも思はで走りありき、つゆあしうもせば沈みやせむと思ふを…」(『枕草子』:少しでもまちがいをおかせば…)。

「(女は)つゆにても(男の)心に違ふことはなくもがなと思へりしほどに…」(『源氏物語』:微(かす)かにでも(男の)心に違ふことはなくもがなと…)。

「御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず」(『源氏物語』:まったく寝つけない)。

「人のなきあとばかり悲しきはなし………年月經てもつゆ忘るゝにはあらねど、さるものは日々に疎しといへることなれば…」(『徒然草』:まったく忘れてしまったりするわけではないが…)。

「櫃の中を見るに、入れる所の物、露も無し」(『今昔物語』)。