「とゆゆいみ(利斎ゆ忌み)」の音変化。
「と(利)」は効果が増幅していくことを意味する(→「と(利・鋭)」の項)。
次の「ゆ(斎)」は犯しがたい神聖感を表現する(→「ゆ(斎)」の項)。
次の「ゆ」は事象の、全体を成形し整え完成させること、経験経過を、表現する助詞(→「ゆ(助)」の項)。
「いみ(忌み)」は意思動態的に進行を表現する動詞であり、目標から遠心的・自己へ求心的な動態を表現する。それは目標へ向かうことの拒否や禁止も起こる(→「いみ(斎み・忌み)」の項・2020年3月14日)。
この「とゆゆいみ(利斎ゆ忌み)」における「いみ(忌み)」は、連用形名詞化ではなく、「とゆゆいみ(利斎ゆ忌み)」全体は、効果が増幅的な神聖感が経過しつつ、忌みが起こっていることを表明している。「私は忌みている」と言っている。審判の場、神判の場でそれが表明され(つまり裁判がなされ)、その表現が名詞化した。つまり、「とゆゆいみ(利斎ゆ忌み)→つみ(罪)」は、神聖感を増幅的に侵害していくことを感じる忌避が起こっていることを表明している。神聖感を増幅的に侵害していく忌むべきことが私に起こっている、ということです。そこでは生命や宇宙自体の神聖さを増幅的に侵害していくことを感じる生命に対する忌みも起こる。その忌みの発動はけして個人的な経験や記憶によって起こるわけではなく、それは昨日今日のもののみではなく、言語記憶のみでもない。人には生命発生起源の記憶もあり、生命発生自体への忌みも起こる。
『祝詞(のりと)』には「天つ罪(あまつつみ)」として「畔放(あはなち)、溝埋(みぞうみ)、樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしさし)、生剥(いけはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)」(「串刺」は土地に占有表示の串を立てて田畑や有用作物の生えている土地をむやみと占有すること。「生剥」「逆剥」は動物や家畜の処理に関すること。「屎戸」は異常な、異様なあり方にすること→「くそへ(屎戸)」の項)を、「国つ罪(くにつつみ)」として「生膚断ち(いきはだたち・傷害)、死膚断ち(しにはだたち・傷害致死・殺人))、白人(しらひと・ある種の病気)、こくみ(ある種の病気)、己か母を犯せる罪、己か子を犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜(けもの)犯せる罪」などをあげている(そのほか自然災害や蠱物(まじもの)をすることなどもあげられている。『六月晦大祓(みなづきのつごもりのおほはらへ)』)。ようするに、公共的なこと、共同体に関することが「天つ罪」であり個人的なことが「国つ罪」ということでしょう。共同体に関することとしては農業が基本であり、家畜も農業に関し公共財産的意味合いがあったのでしょう。「国つ罪」は傷害、殺人、近親相姦(母と子の双方を犯すようなそれ的なことも)や不自然な性行為であり、ある種の病気も「忌み」になっている。
(罪と罰)
「罪と罰(つみとバツ)」という言葉がある。犯罪に対応した刑罰があるということです。「罰(バツ)」は、人を責めたり刀で切ったりすることを表す中国語。「罪と罰(つみとバツ)」というこの表現からも分かるように、日本語にはこの「罰(バツ)」にあたる言葉が無い。「仕置き」「咎め(とがめ)」といった言葉はありますが、「とがめ」は元来は落ち度の指摘を意味し、「しおき」は様々な準備を意味する。この「しおき」は、やがて、行政的な様々な処置や、前もって何かを予想した取り締まりなどを意味し、これが刑罰的な意味合いをもつようになるのは比較的近世になってからであり、昔からそのような言葉があるわけではない。では、日本ではどのような罪(つみ)でもこれを罰することは行われていなかったのかというと、けしてそうではない。どういうことかというと、それは「バツ(罰)」ではなく、「つみ(罪)」だったのです。ある人(A)が何かをした。したということはAにとってそれは忌みではなかった。推量や記憶が発動する忌みではなかった。忌みであればそうしたことは起こらない。しかしそれはA以外のあらゆる人において忌みだった。Aとの関係において忌みが表現される。この表現はAにおいてそれが忌みでない限り続く。Aにおいてそれが忌みとなったとき、忌みは表現されなくなる。忌みは自然消滅してしまうのです――。そういうことですから、「罰(バツ)」という言葉は不用だったのです。そこでは「つみ(罪)」が表現されているのであり、「罰(バツ)」が加えられているのではなかった。そこで起こっていることは、罪のある人に罰を加えるのではなく、「忌(い)み:罪(つみ)」の無い人に「忌(い)み:罪(つみ)」を生じさせることであり、「忌(い)み:罪(つみ)」が生じたとき、「忌(い)み:罪(つみ)」は表現されなくなり、罪(つみ)は消滅してしまう。その場合、何が忌み(罪)となるかはその人やその社会の生命発生起源の記憶によって決定され、その記憶がその人や社会に生きているか否かが決定的に重要な問題となる。
「罪 ……ツミ アヤマチ」「罸 …ウツ コロス ツミ」「刑 …ノリ…コロス ツミ……ノリトス」(以上『類聚名義抄』:「のり(告り)」とは法です(その項))。
「罪(つみ)の限(かぎり)果てぬればかく迎ふるを…」(『竹取物語』)。