「つみはり(積み張り)」。「つみ(積み)」はその項参照。意味は、同動の意思動態にあることを表現する。この「はり(張り)」は「いひはり(言ひ張り)」などのそれと同じであり、情況感が積極的に進行する。つまり、「つみはり(積み張り)→つまり(詰まり)」は、ものやことの、同動の動態情況が進行し緊張情況になる。在ること、存在それ、も動態であり、ものやことが、いくつも、あるいは何度も、情況存在化し緊張情況になる。

「き(気)づまり」(気(キ)が累積・堆積し緊張動態情況になる)。「て(手)づまり」(手(て)と表現される方法が累積・堆積し緊張動態情況になる(それ以上手(て)が現れ存在化する余地はない))。「に(煮)つまる」(煮ることにより水分は蒸発しそれ以外の成分が濃度を凝縮していき累積・堆積し緊張動態情況になりそれ以上堆積する余地がなくなる)。「せけん(世間)がつまる」(ここで世間(セケン)とはその経済活動であり、それが堆積凝縮したような状態になり動けなくなる。つまり、活発な交換は起こらなくなり、景気が悪くなる)。「いき(息)づまる」(呼吸活動が動態として累積・堆積し緊張動態情況になりそれ以上堆積する余地がなくなる)。「はな(鼻)がつまる」(鼻孔としてある空域になにかが累積・堆積し緊張動態情況になりそれ以上堆積する余地がなくなる(つまり空域がなくなる))。

「月満ちてはかけ、物盛りにしては衰ふ。萬(よろづ)のこと、さきのつまりたるは、破れにちかきみちなり」(『徒然草』この一文、後世では、進行路に障害物が満ちており詰まって先へいけないことはその障害が破れていることに近い、と読まれそうであるが、そういう意味ではない。「さきのつまりたる」は、先にものごとが積み、張り満ち、それ以上積まれることはない状態になっていること。つまり、ものごとが満ち足り終局を迎えた、ということ。それはそのものごとがなくなることに近い、と言っている。生きる努力は死へ向かう死ぬ努力、のような表現)。

「明日こそ相近付て、矢合をもせめとて、僅なる在家に攻(ツマ)り居て、火を焼身を温めて、前後も不知して寝たりける。」(『太平記』:兵が家内に、空間容量としてこれ以上存在し得ない、というほど居る)。

「小林右京亮(-うきょうのすけ)伯耆(ほうき)国を出(いで)しより…………………居たりけれ共、小林兵粮(兵の戦陣用食料)につまりて、又伯耆へ引退ければ…」(『太平記』:「兵粮につまり」は、兵糧を食うということをし果て、それ以上それが起こる余地がなくなる。金策につまり、などは、それ以上金策が起こる余地がなくなる)。

 

・進行している道や穴に何かが詰まっていれば進行は障碍を受ける。しかし、ものやことが、いくつも、あるいは何度も、存在化することは、「たまる(溜まる)」こと、発生すること、に意味が似ており(→「ため(溜め)」「たまり(溜まり)」の項)、「つまり(詰まり)」は、ものやことが存在化した、それを得た、という意味になり、それがないことは「つまらない」になり、「つまらない」と「たまらない」は同じような意味にもなる。

「Tçumari(ツマリ),u(ル),atta(マッタ). Estar,ou ser muito apertado(であること、または非常にきついこと)。………………¶Cotobani tçumaru(コトバニ ツマル).  Ficar concluido co palavras(言葉で完了する) ¶Rini tçumaru(リニツマル).  Ser convencido da razão(道理に納得する).…………¶Riga tçumaru(リガツマル). Nãopoder fazer camara(かたづけることができない). 」(『日葡辞書』:つまり「言葉につまる」「理につまる」は、言葉や理が積載し堆積し、これ以上在ることはない、言葉や理が充足している、という状態になり、「言葉がつまる」「理がつまる」は、言葉や理の進行が障碍を受けそれ以上進めない、という状態になる。ただし、後世では、「言葉がつまる」という意味で「言葉につまる」と言われているでしょう。しかし、「言葉につまる」は、原意としては、言葉という動態で、それ以上在ることはない、という状態になること)。

「『是に福の神ほうと詰つた』」(「狂言」『福の神』:言い返す言葉がつまった。前記の意味で、言葉につまった、のではなく、言葉がつまった)。

「理句義のよくつまるやうにと存じて申すなり」(「咄本」『軽口露がはなし』:前記の「理につまる」がここでは「義につまる」という表現)。

「ぬしや詰(ツマ)りんせんよ(つまりませんよ)。わつちが方を打やつて(うっちゃって)、此中も丁子屋のみな鶴様の所へいかんしたを…」(「浄瑠璃」『神霊矢口渡』:この「詰(ツマ)りんせんよ(つまりませんよ)」は、上記での、理由につまる、という状態にならないということ。それがが「つまらない」)。

「『ドツコイ、逃がして詰(つ)まるものか』」(『念力箭立椙』:この表現は、逃がしてたまるものか、に似ている)。

・つまらない:「ことにつみはり(ことに積み張り)→ことにつまり」は、ことが、仲間のことを多数連れるように、積載し情況に緊張が生じ、もうない、という情況に、それでこととして「在(あ)る」という情況に、なることであり、そうならない場合が「積み張らない→つまらない」。つまり、それはこととして「在(あ)る」とは言えない情況であり、それは、こととして完成感なく、満足感・充足感なく、疑問なく受け入れたり従ったりすることのできないことであったり、不満なことであったり、納得できないことであったりする。

「ありかの知れぬお咄(はなし)にて少しつまらぬ所あり」(「浮世草子」『御前義経記』)。

「是々大藤内、扨(さて)も扨(さて)もつまらぬ人ぢゃ。人の相を頼んで置いたに」(「歌舞伎」『和国風流兄弟鑑』)。

「是はつまらぬお詞かな。彌太郎とやらをとむる関ならば彌太郎斗をとめ給へ」(「浄瑠璃」『盛久道行』)。

「『身請けの金は親方へ渡して置いた。国へ連れて行くぞ』杉迷惑し『それではつまらぬ』」(「歌舞伎」『加州桜谷血達磨』)。

「汝口が苛(えら)いから人中へ入って詰らねえ口利いては旦那様の顔に障るから」(「落語」『真景累ケ淵』)。

「大坂にて、つまらぬ。江戸にて、うまらない」(『大坂江戸風流ことば合せ』:「つまり(詰まり)」「うまり(埋まり)」「たまり(溜り)」、「つまらない」「うまらない」「たまらない」は意味が似る)。

「つまらない映画」(映画としてことが完成しない・充足しない映画)。