◎「つぶ(全)」

「ツウブ(通部)」。「通(ツウ)」は障碍がないこと。ある域が滞ったり止まったりせず通(とほ)るそれであること。「部(ブ)」は全体の中の小分けした限定域。「通部(ツウブ)→つぶ」は、「部(ブ)」たる限定域たる障害がない、つまり、全域に、全体に、ということ。ものやこと(動態)が、量的にであれ質的にであれ、全的に、ということです。「つぶと」という言い方がなされる。

「ずぶ」という、意味も、事実上、同じと言っていい語があり。この語は「づぶ」とも書かれ、それは「つぶ」が強意し濁音化しているのか、「ずぶ」が「つぶ」の影響を受け「づぶ」になっているのか、見分けはつかなくなる。

いうまでもなく、この語は「つぶ(粒)」ではない。

「彼れ但馬国にして鷲に(子を)取られし年月日につぶと当たれば…」(『今昔物語』:幼い我が子を鷲にさらわれた人が、十数年後、ある地である人に会い、その人は幼いころ鷲の巣で発見され、その年月日が我が子が鷲にさらわれたそれにまったく一致したという話)。

「『…顔をつぶと見せぬが怪きに』」(『今昔物語』:出会い、同行した女がまったく顔を見せない)。

「大宮の一の車の口のまゆ(眉)にかうなう(香嚢)かけられて、空だき物たかれたりしかば二條の大路のつふとけぶりみちたりしさまこそめでたく」(『大鏡』:「車の口のまゆ(眉)」は、館形の車の庇(ひさし)のような部分)。

「その車に乗りけむ程を思ひ出づるに、つぶと覚えず」(『成尋阿闍梨母集 (じゃうじんあじゃりははのしふ)』)。