◎「つはり」(動詞)

「うちゆはり(内ゆ張り)」。「う」は退行化した。「うち(内)」は、なにかの「ゐる(居る)」「あり(在り)」を現しているもの・こと(→「うち(内)」の項)。「ゆ」は事象全体を成形し整え完成させる助詞(→「ゆ(助)」の項)。この場合は起点、動態の発起源を表現する。意味は「~から」に似ている。「はり(張り)」は、情況化すること、情況として、環境として、現れること。「うちゆはり(内ゆ張り)→つはり」は、なにかの「あり(在り)」を現しているもの・ことが動態の発起源となって環境として現れる。たとえば、ある樹木の「有り」(その存在化)を現しているもの・ことが動態の発起源となって環境として現れるとは、その樹木に芽吹きが現れることです。その樹木の内からその樹木の存在が環境に現れる。それが動詞たる「つはり」であり、そのことが名詞たる「つはり」。妊娠初期の偏食や吐き気などの異変を言う「つはり」もこれ(つまり、その「つはり」は体内の新たな生命が現実となり動き出している)。

「葉がくれて つはると見えし ほどもなく こは熟梅(うみうめ)に なりにけるかな」(『金葉和歌集』)。

「木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるものなり」(『徒然草』)。

「腜 ……孕始兆也 豆波利乃止支」(『新撰字鏡』)。

「胚 …ハラム ツハリ」「擇(択)食 ツハリ」(『類聚名義抄』)。

「擇(択)食 ………和名豆波利」(『和名類聚鈔』)。

 

◎「つひ(終)」

「つへいひ(…つ経言ひ)」。「つ」は動態は理性化し理性的に確定する(完了の助動詞と言われる「つ」にあるそれ)。「つへいひ(…つ経言ひ)→つひ」は、理性的に確定することを経過し言ひ、の意。なにごとかが、あるいはすべてが、「…つ」と終わった情況で言っていることが表現される。「つひの別れ」(「すべてあった(もうない)」と理性的に確認され表現される別れ)は死別を意味する。「つひに」は、すべてが終わった状態で。「つひぞ(つひにそ)」は、自分の全経験を終わって(覆って)、の意。

「生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間(ま)は楽しくをあらな」(万349:この歌、他の読み方もある。ちなみに原文は、生者遂毛死物尓有者今生在間者樂乎有名)。

「汝(な)が御子(みこ)や 終(つひ)に領(し)らむと 雁(かり)は卵(こ)生むらしき」(『古事記』歌謡74:「汝(な)が御子(みこ)や 終(つひ)に(都毘邇(※))領(し)らむ」は竹内宿禰命(たけうちすくねのみこと)が雁の意思、そこに現れる天意、をおしはかって言っている。そして、つひに(世の、時空の終わりまで)、領(し)らむは(それをおさめるのは)汝(な)が御子(みこ)や(お前の御子(みこ:子孫))では?)、という倒置表現。「汝(な):お前」とは仁徳天皇であり、なぜそんな呼び方なのかと言えば、それが天意・神意だからです。

※ この「つひに」の原文「都毘邇」の「毘」は『古事記』では「び」の仮名なのでこれは「つびに」と読むべきであるとする説もある。しかし、「毘」は甲類「び」の仮名であり、「つへいひ(…つ経言ひ)→つひ」の「ひ」は乙類「ひ」になるはずであり、乙類「ひ」の音が甲類「ひ」の濁音仮名で書かれてしまうこともあり得ないことではないでしょう。

「いかならむ折にか、その御心ばへほころぶべからむと、世の人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐしたまひて…」(『源氏物語』:なんらかの折に、自制が崩れるだろうと(恨みをかえすだろうと)、世の人も疑っていたが、つひにあの人は…)。

「…黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは 気(いき)さへ絶えて 後つひに 命死にける…」(万1740:「ゆなゆなは」はその項)。