「つの(角)」の動詞化。角(つの)のようになったりしたりすることですが、尖(とが)ったり尖(とが)らせたりするわけではありません。「つの(角)」という語は、原意として、効果的にある長い状態のものを意味し(→「つの(角)」の項・6月14日)、なにかがそのようになる、あるいは、なにかをそのようにする、とは、なにかが効果的に進行し現れる、なにかを効果的に進行させ現す、という意味になる。なにかが効果的に進行し現れる、とは、なにかが現実化することであり、現実に作用する状態になるということです。そうなること、あるいはそうすること、それが「つのり(募り・贖り)」。たとえば、思いが、ただ内心に沸いただけではなく、現実に作用するほどになれば「思いがつのり」。兵を現実として現し作用する状態にすれば「兵をつのり」。物(A)の価値を現実として働かせることは物(A)の価値を現実として作用させ物(B)を手に入れる、すなわち、物(A)を信用担保にする、のような意味になる(下記)。代金にする、のような意味にもなりますが、Bは、ものではなく、努力であることもある。

「Aがつのり」も「Aをつのり」も、すなわち自動表現も他動表現も、ある。R音は情況動態を表現し、自己が情況化すれば自動であり、他に働きかけそれが情況化すれば他動です。他がみずからそうするよう働きかければ「つのらせ」の使役型他動表現。

「横しまなる道つのりて後は、いかばかりの賢聖にあへるとも詮なかるべし」(『ささめごと』)。

「次第に怨霊つのりければ、恐ろしく思ひ」(『善悪報ばなし』)。

「貫之の書とてあるも道風のと云も歌書切は名も無し……価をつのらんとて鑒札(カンサツ:鑑定書)を出す悪書の人のさても面皮のあつき事よ」(『胆大小心録』)。

「女幣帛(みてぐら)を募(つの)りて,禱(の)みて曰(のたま)はく。『汝を神として祀(まつ)らむ。幸(さきはひ)に乞(ねが)はくは我に免(ゆる)せ』」(『日本霊異記』:他動表現。「幣帛(みてぐら)」の効果を現実的に作用させる、ということ。「幣帛(みてぐら)」は「御手坐(みてぐら)」ですが、さしあげる供物、のような意。「幣帛(みてぐら)を募(つの)り」は、多くの幣帛(みてぐら)をさしだしたわけです。「我に免(ゆる)せ」は、私に免(メン)じて、ということ。私に免じてその蛙をにがしてやってくれ、と大蛇に言っている)。

「この得んずる物をつのりて人に物を借りて漆ぬらせ奉り薄買ひなどしてえも云はず造り奉らんとす」(『宇治拾遺物語』:「この得んずる物」は、仏像を完成させればもらえることになっているもの。つまり、製作の手間賃というようなもの。これをつのり、足りない漆や金箔を買い立派な仏像を作るつもりだ、と言っている(それにつづき、そんな債務を負うことをしなくて済むように手間賃の一部を今くれないか、と言う)。つまり、手間賃が入ったら代金を払う(代金として返す)約束で買う(借りる)つもりだ、を、手間賃をつのり漆や金箔を借りる、と言っている。つまり、もらえることになっている手間賃を、借りる金を返すことの担保にいれるようにして金を手に入れ、その金で漆や金箔を買う、ということなのですが、それを、手間賃をつのる、と表現している。手間賃の価値が現実化し現実的に効果を果たし作用するわけです)。