「とゐなへ(と居な経)」。「と」は、ものであれことであれ、なにかを思念的に確認する。「な」は助詞のそれであり、全的完成感のある認了感が表現される→「な(助・副)」の項。「へ(経)」は経過→「へ(経)」の項。「とゐなへ(と居な経)→つね」は、…と有(あ)ることが経過しているもの・こと。そうあることが経過しているもの・こと。人の日常的な経験や人生において、記憶として、そうあることが経過しているもの・こと、です。「つね~」「つねに~」と動態がそうしたことであることが表現されることもあれば、「つねの~」「~のつね」と名態がそうしたものであることが表現されることもある→「つねの女子(をなご):普通の、ありふれた女」、「その国の人のつねとして:その国の人はいつもそうするように」。
「この歌はつねにせぬ人の言(こと)なり」(『土佐日記』:これはこの前にある歌にかんし言っており、その歌は普通一般にある人はしない言葉づかいで歌われている、ということ(方言が混じっている))。
「つね(都禰)知らぬ道の長路(ながて)をくれくれと(暮れ暮れと)いかにか行かむかりて(可利弖)はなしに」(万888:今までの人生にそのような経験のなかった長い道のり。「かりて(可利弖)」は一時しのぎの、非常用のもの・こと。とくに、食べ物(→「かりて(糧)」の項)。
「くすりしは つねのもあれと まらひとの いまのくすりし たふとかりけり めだしかりけり(薬師は常のもあれど貴人の今の薬師尊かりけりめだしかりけり)」(『仏足石歌』:「めだし(愛だし)」は、感銘が沸き感嘆している心情を表現する(その項))。
「儀式など、常の神わざなれど、いかめしうののしる」(『源氏物語』:いつもの神事なのだが、威厳深く声が張られていた)。
「十月(かむなづき)時雨(しぐれ)の常(つね)か我が背子が屋戸(やど)の黄葉(もみぢば)散りぬべく見ゆ」(万4259)。
「常やまず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじとたゆたひぬらし」(万542:途絶えた記憶なく)。
「衣袖(ころもで)大分青馬(わかあをうま)の嘶声(いなきごゑ)心あれかも常ゆ異(け)に鳴く」(万3328:「大分青馬」は一般に「あしげのうま」と読まれている(つまり、「大分青」を、あしげ、と読む(ひたを(純青)、や、まさを(正青)、とも読む)。その読みは馬の「あしげ(葦毛)」が「あを」とも言われることの影響でしょうけれど、「大分」の意味がよくわからない。大分青(ダイブあを)で葦毛(あしげ)であろうか。この「大分」は、大きくなった、開いた、「わけ(分)」、であって、大きく開いた「わけ」とは、語尾が「あ」音化した「わけ」であり、「分(わけ)」の語尾が「あ」音化し、読みは「わか」でしょう。意味は、若(わか)。ならばなぜ「若」と書かないのかといえば、「若(ジャク)」には幼さや未熟さの印象があるからです。そのためこの字が避けられ、非常の表記として「大分」が現れた。この歌は歌われているその馬の未熟さや幼さを表現しているわけではなく、人よりも深い感銘を引き起こすものとしてそれを表現している。枕詞「ころもで」が「わ」に係るのは袖が「わ(輪)」になるからであり、「ころもでの」の「まわかのうら(真若の浦)」(万3168)への係り方に同じ(→「いなき(嘶き)」の項)。全体の歌意は、これは挽歌であり、(あの馬は)三野王(みののおほきみ)が亡くなったことがわかるのか。常にない嘶(いなな)きをあげる、ということ)。
「妹が家に伊久里の杜(もり)の藤の花今来む春も常かくし見む」(万3952)。