◎「つなぎ(繋ぎ)」(動詞)
「つな(綱)」の動詞化。なにかとなにかを、物的にであれ、作用的活動的にであれ、社会的にであれ、常にともにいる、常に一体的な、状態にすること。作用的活動的に、とは、たとえば「命(いのち)をつなぐ」(生命活動をつなぎ、絶えれば死ぬ)。古く、探す目標対象と自己を認識や記憶として一体化させること、追跡すること、も「つなぎ」と表現した→「射ゆ獣(しし)をつなぐ(都奈遇:血痕痕跡などで追跡する)川へ(かはへ)の若草の若くありきと吾(あ)が思(も)はなくに」(『日本書紀』歌謡117(※後記))。
やはり他動表現で語尾がE音化した「つなげ(繋げ」も現れる。これは活用語尾E音で可能を表現するようになったこととも関係がありそうです→「その電線をこっちにつなげる」。「その電線はこっちにつなげる」(その電線はこっちにつなぐことができる)。
「あずの上に駒を繋(つな)ぎて(都奈伎弖)危(あや)ほかど人妻子ろを息に我がする」(万3539:「あず」は崖(がけ)の崩れた状態になっている地形部分。この歌は方言的変化がある)。
「みつみつし 久米の子等が 粟生(あはふ)には 韮(かみら:香韮(かにら))一本(ひともと) そねが本(もと) そ根芽(ねめ)つなぎ(都那芸)て 撃ちてし止まむ」(『古事記』:「に」と「み」は交替する→「にら(韮)・みら(韮)」。粟生(あはふ)にまじり臭いやつが一本生えている。そいつを根絶やしにしてやる、ということ)。
「獄(ゴク)につなぐ」(投獄する)。「電話をつなぐ」。「望(のぞみ)をつなぐ」。「心(こころ)をつなぐ」。「信用をつなぐ」。「場(ば)をつなぐ」(その場の雰囲気や情況がこわれないよう維持する)。
※ 前記「射ゆ獣(しし)をつなぐかはへ(舸播杯)の若草の若くありきと吾(あ)が思(も)はなくに」(『日本書紀』歌謡117)ですが、「かはへ(舸播杯)」は、一般に、「川辺(かはへ)」と解されますが、その意の「へ」は甲類表記(『日本書紀』のこの歌を真似たような万3874は「河邊(かはべ)」と書かれる)。「かはへ(川上)」と読み、「へ」は「うへ(上)」の意とする読みもある。これは『古事記』歌謡59にある「迦波能倍邇(かはのへに)」の影響であろう。この「倍(へ)」は乙類ですが、これは「経(へ)」でしょう。川につれ、その経過とともに、ということ。『日本書紀』歌謡100・101にある「きのへ(城のへ)」の「へ(陪)」は「舳(へ)」。「城(き)」を(日本に向かう)船になぞらえた。川(かは)上(うへ)の若草、は意味・歌意不明。この『日本書紀』歌謡117の読みは、「いゆししを つなぐかはへの わかくさの…(射ゆ獣を つなぐか延(は)への 若草の…)」でしょう。「はへ(延へ)」は「はひ(延ひ)」の已然形。「草(くさ)延(は)ひ」という言い方は聞きませんが、「葎(むぐら)延(は)ひ」は普通にある。様々な草が生い広がっているわけです。しかしそれはまだ若草であり、追う獣を追跡するにたる痕跡をのこせるのか、たよりない。「つなぐか、延(は)へ…」は、目標へつなぐのか(ちゃんとたどりつけるのか)、延(は)へ広がってはいるが…、ということ。しかし、そんな頼りない若草のようにあの子(建王(たけるのみこ))が若く幼かったとは私は思わない(あの子ならきっと大丈夫だ。ひとりで行ける…)。これは斉明天皇の歌ですが、老いた斉明天皇は、幼くしてなくなった最愛の建王がかわいそうでならず、あんな幼い子が死出の旅を一人でいくことがかわいそうでならないのです。それを、あの子ならだいじょうぶだ、と自分に言い聞かせているのがこの歌。『万葉集』10・11・12も斉明天皇が亡くなった建王を思っている歌です。
◎「つなしにくし」(形ク)
「つならしにくし(唾鳴らし憎し)」。「ら」の退行化。口の中で唾を鳴らすようなふてぶてしさを覚える印象であること。口の中で憎げに舌打ちしているような印象。
「そのあたりの貯へのことども(自分の土地ではないが所領関係がはっきりしていなかった土地から得ていた利益)を危ふげに思ひて、髭がちにつなしにくき顔を、鼻などうち赤めつつ、はちぶき言へば…」(『源氏物語』:「はちぶき」は態度が不満げであったりふてぶてしかったりすること)。