◎「つとに(夙に)」

「つひうつよに(終打つ夜に)」。「つひ(終)」は終局。「うち(打ち)」は何かを現すこと。「つひうつよに(終打つ夜に)」とは、終局を現している夜に。つまり、朝の予感があるころに、であり、早朝よりもさらに早い時間域に、の意。意味発展的に、「つとに」は、早くから、以前から、といった意味でも用いられている。

「夙 …アシタ ハヤク ツトニ…」「早晩 …ハヤク ツトニ………アシタ ツトメテ」(『類聚名義抄』:ここにある「アシタ」は、明日、の意ではなく、朝、の意)。

「夙(つと)に起(おき)おそくふして性力(ちから)を凝(こら)し…」(「読本」『雨月物語』)。

「彼女は民謡の世界では夙にその名が知られ」(人生のそうとう早期から名が知られ)。

 

◎「つどひ(集ひ)」(動詞)

「つてゐおひ(伝て居追ひ)」。「てゐ」のE音とI音の連音が「つ」のような音になり、それによる「つお」が「ど」になっている。「つて(伝て)」は思念的に確認される同動の経過(連動)があること(→「つて(伝て)」の項・6月4日)。「つてゐ(伝て居)」は、その在る状態がなにごとかが思念的に確認されている動態であること。「つて(伝て)」は人から人へのそれであり、なにごとかが思念的に確認されている動態であるその「在り」たる人は複数です。複数の人が「つてゐ(伝て居)」の動態にあり、一同で思念的に確認されているなにごとかを追っている。そのことのための努力が現れている。それが「つてゐおひ(伝て居追ひ)→つどひ」。人々が相互連絡的な状態になっておりその相互連絡的な動態を追って情況が進む動態になっている。「人々がA氏の家につどひ」の場合、人々が全体的にA氏の家でそうした動態になる。「つどへ(集へ)」という他動表現もある。

「ここをもちて八百萬(やほよろづ)の神、天(あめ)の安(やす)の河原(かはら)に神集ひ集ひて(神集集而) 訓集云都度比 …」(『古事記』)。

「国々の防人(さきもり)集ひ(都度比)船乗りて別るを見ればいともすべなし」(万4381)。

「白玉(しらたま:真珠)の五百(いほ)つ集ひ(追度比)を手にむすび(手にいっぱいにし)おこせむ(もたらす)海人(あま)はむがしくもあるか」(万4105:「むがし」は「うむがし」の「う」の脱落であり、健気(けなげ)さや専心性に心打たれる、といった意味ですが、この歌には「一云 我家牟伎波母」という添え書きがある。これは、一般に、読まれていない部分ですが、「われけむきはも(我けむ際も)」ということであり、「けむ」は「きえむ(来得む」か。万3957に「玉づさの使のければ(家禮婆:来れば)」という表現がありますが、これは、来(き)得(え)れば(到着したので)、でしょう。「きえ(kie)」の音が「け」(甲類)になる。「われけむきはも(我来む際も)」は、私のところにも来る、そんな折も…(あるかもしれない)、ということ)。

「百濟、恩率(オンソチ)彌騰利(ミドリ)を遣(まだ)して、毛野臣(けのおみ)が所(もと)に赴(ゆ)き集(つど)へ」(『日本書紀』:これは他動表現)。

◎「つどへ(集へ)」(動詞)

「つどひ(集ひ)」の他動表現。(多数を)集ふ状態にすること。→「つどひ(集ひ)」の項。