◎「つと(土産)」
「つていひおひ(伝言ひ負ひ)」。「つちおひ」のような音を経つつ「つと」になった。伝えることを言うことを負っているもの、ということですが、ある思いであれ、ある情況であれ、ある物を伝えることによりそれらが伝わることが期待されているもの。旅先で得たものを家へ持って帰り家人に示せば「みやげ・みあげ(土産)」になる(それにより旅がつたわる)。思いが伝わることが期待されていれば「贈り物」にもなり得る。その物が負いそれに期待されている「伝えごとを言う」という任務が、将来の自分に伝えごと(事)をする、という意味になった場合、「つと」は旅に、旅先の事を考えその用意のためにもっていくもの(とくに食物)も意味し得る。古くは「贄(シ)」を「つと」とも読んでいる。
「沖行くや赤ら小船に𮖐(つと)やらばけだし人見てひらき見むかも」(万3868:𮖐(カ)は包(つつ)むことを意味しますが、これは土産物や贈り物は古代から、剥き出しで渡したりせず、なにかで包んで運び、渡しもしたということでしょう。「包 …ツツモノ」(『類聚名義抄』:これは、ツツミモノ、であり、「つと(土産)」でしょう)。そうしたことから、さらには、「つと(土産)」という語は用いられなくなりますが、別に「わらづと(藁苞)」といった語は残り、一般にこの「つと(土産)」と「つと(苞)」(これは包むもの)は同語と考えられている(つまり、同語と考えられているが、別語だということ)。この歌3868にかんして言えば、これは船出して帰らぬ人となった人たちを思った歌であり、赤ら小船にたくすことでその人たちに届けば、と思っているのは、包まれた「つていひおひ(伝言ひ負ひ)」であり、藁苞(わらづと)のようなものではないでしょう)。
「贄 …ニヘ ツト」(『類聚名義抄』:「贄(シ)」は、人に、特に敬うべき人などに、会う際持参しさしあげる礼物などを意味する。それを、にへ、とも、つと、とも読んでいる)。
「消(け)残りの雪にあへ照るあしひきの山橘をつと(都刀)に摘み来(こ)な」(万4471)。
「堀江より朝潮満ちに寄る屑(こつみ)貝にありせばつとにせましを」(万4396)。
「旅裹(たびづと)といふは旅にもつ食物なり。往生のつととは往生の資糧なり」(『標注一言芳談抄』)。
「ねても覚ても、たちゐ、おきふしにも、なむあみだ仏なむあみだ仏と申て候は決定往生のつととおぼえて候なり」(『一言芳談』:念仏を人生という長い旅の「つと(土産)」になにものかに持参すると往生させていただけるような表現)。
◎「つと (苞)」
「つつハウ(筒包)」。「ハウ」の音(オン)は慣用的に「ホー」になり、そのH音は退行化しつつ「つつオー」のような音(オン)が「つと」になった。「つつハウ(筒包)→つと」は、筒状に包(つつ)むもの、の意。それが起源でもあり、藁(わら)でなにかを包む状態にすることがほとんどすべてでしょう。「(納豆の)わらづと(藁苞)」。「苞(ハウ)」の字は『廣韻』に「叢生也,豐也,茂也」とされる字(元来はある種の植物を意味する字ですが、借用で、包(つつ)む、を意味する)。
日本髪で項(うなじ)へ張り出した部分を「つと(髱)」と言うのは「つと(苞)」に形が似ているから。
「公文とのへ まめのつとの候、御ふきやうへ御ちやのこのためにまいらせ候…」(『僧快俊書状』「東寺百合文書 は」「大日本古文書一・一六五」)。