「つきふし(尽き伏し)」。「つき(尽き)」はその項(4月20日)。意味は、期待し、期待したことが悔やまれること、それにより、それは終わり、なくなったこと、が表現される。「ふし(伏し)」は動態に特化的な(特別化する)発生感が生じ経過することを表現する(→「ふし(伏し)」の項)。「つきふし(尽き伏し)→つくし」は、「Aをつくし」、すなわち、Aを、あれは…と期待し、期待したことが悔やまれること、それはもはや失せ、終わったこと、その消失・終わりが生じる動態に特化的な(特別化する)発生感を生じさせそれが経過する状態にする。簡単に言えば、それを尽きる(消失する・終わる)特別な状態にする、ということ。「Bにつくし」「AがつくすB」という自動表現もAが自己をそうしている。自分を尽き伏している。自分を消失する特別な状態にさせている。

「大土(おほつち:大地)は取り尽すとも世の中の尽しえぬものは恋にしありけり」(万2442:それが尽きる状態になりえないのは恋だ)。

「永(なが)く苦海を竭(ツクシ)て罪を消除し」(『金光明最勝王経』:苦海は経験である。労をつくす、苦労をつくす、に表現は似ている)。

「我等が命を盡(ツクサ)むと欲(おも)ひてするに非(あら)ずあらむや」(『地蔵十輪経』:命がなくなるような努力状態になる。「心をつくす」、「意をつくす」、「力をつくす」、「身をつくす」といった表現もある。「贅(ゼイ)をつくす」は贅沢をこれで終わりというほど極めること。「阿呆つくす」といった表現もある。阿呆のかぎりだ、ということ)。

「忘れがたく、口惜しきこと多かれど、え尽(つ)くさず」(『土佐日記』:「書き尽くさず」ということ。書くことがなくなるような特別な状態になること。「言ひ尽くす」といった表現もある)。

「『「私もその人の爲にはこれまで盡せるだけは盡してゐるの。…』」(『別れた妻に送る手紙』近松秋江)。