「つきふえ(調増え)」。調(つき:貢納物・4月17日)が増えるもの。正確に言うと、そこに乗せると嵩(かさ)が上がり調(貢納物)が増えたように見えるもの。多く見せるために作られたわけではない。地に置くような失礼なことはせず、貴重に扱い台に乗せた結果そうなり、そう言われたということです。ものを乗せる台のようなものは、それ以前にも、供物を乗せたり祭具を置いたりしたものやその他一般的なものでもあったではあろうけれど、特別な名もなく、「つくえ」とは呼ばれていない。後世においては、「つくえ」は、勉強をしたり事務をおこなったりするためのもの、という印象になっていきますが、そうなっていくのは、たぶん江戸時代以降。音(オン)は「つくえ(ye)」にも「つくゑ(we)」にもなりそうですが(「ふえ(増え)」の「え」はy音)。仮名表記は「つくえ」「つくゑ」どちらもある。「つくゑ」の方が多い印象を受けますが、これは「え」が「ye」を表現せず「e」になっていくことの影響もあるのでしょう。

「其(そ)の姉(え)石長比賣(いはながひめ)を副(そ)へ、百取(ももとり)の机代(つくゑしろ)の物(もの)を持(も)たしめて、奉(たてまつ)り出(いだ)しき」(『古事記』:「百取(ももとり)」は、さまざまな収穫物、自然産物、ということでしょう。「机代(つくゑしろ)」は机(つくゑ)に載せた代物(しろもの:価値物)。さまざまな自然産物がなんの価値を現すかといえば、木花(このはな)の佐久夜毘賣(さくやびめ)とその姉・石長比賣(いはながひめ)。ようするに、贈り物を机(つくゑ)に載せ机ごと相手へさしだす。後世で言えば、大きな脚つき盆とでもいうようなものでしょう。この「しろ」が添えられた二人(二神か)のうち、石長比賣(いはながひめ)をその容姿を見て返し、木花佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)のみをとどめたことにより、天(あま)つ神の御子の御壽(みいのち)は木の花のように(つまり、普通の人のように自然な状態に)なったそうです。命は見た目ではないところにあるということか)。

「保食神(うけもちのかみ)、乃(すなは)ち首(かうべ)を廻(めぐ)らして國(くに)に嚮(むか)ひしかば、口(くち)より飯(いひ)出(い)づ、……………夫(そ)の品(くさぐさ)の物(もの)悉(ふつく)に備(そな)へて、百机(ももとりのつくゑ)に貯(あさ)へて(月夜見尊(つくよみのみこと)に)饗(みあへ)たてまつる」(『日本書紀』:「貯(あさ)へ」は、合(あ)はせ和(あ)へ、でしょう。これは机に食べ物をのせている。「ふつくに(悉)」はその項)。

「銅盤若案(ツクエ)若机(タカツクエ)を用て飲食所須の物を尽ク上に持置て一時に授与することを聴(ゆる)す」(『小川本願経四分律(『訓店語と訓点資料』(訓点語学会))』:これも食べ物(食事時の食べ物)をのせている)。

「鹿島嶺の 机(つくえ)の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机(つく)に立てて 母にあへつや 目豆(めづ)児(こ)の刀自(とじ) 父にあへつや 身女(みめ)児(こ)の刀自(とじ)」(万3880:供え物の食べ物を高坏に盛り、その高坏を机に立てている。「机(つくえ)の島」は、そういう形の島。「しただみ」は小さな巻貝類の総称。肉量的にも味的にも、ほとんど食用にならないが食べられないこともなく、貧しい食べ物でしょう。「刀自(とじ)」は後世の語で言えば、主婦、のような意味ですが、「目豆(めづ)児(こ)の刀自(とじ)」は、この歌を歌っている人が「愛(め)づ」になっている子(こ)である刀自(とじ)、ということ。意味は、思いが湧き上がるような子(こ)たる刀自(とじ:立派な一人前の主婦(幼い子なのに))、という意味。「身女(みめ)児(こ)の刀自(とじ)」は、一般に語義未詳とされますが、(見た目は幼い子だが)その身はもう立派な一人前の女たる刀自(とじ)、の意。原文「奉都也」や「獻都也」は、まつりつや、や、あへつや、と読まれている。この歌は、幼い女の子が、亡くなった両親のために、まるでその食事の支度をしてやるように、「しただみ」などを調理し供えている歌でしょう。読みは、饗(あ)へつや、のほうがよさそうです)。

「机 ………和名都久恵 案属也 史記云持案進食」(『和名類聚鈔』:机(都久恵:つくゑ)で食を進めるという。「案(アン)」は『説文』に「几屬(属)」とされる字。「几(キ)」は、こういう形、という象形であり、ようするに、机や台のようなもの。「按(アン)」とも書かれ、考(かんが)え、という意味にもなる。この項目は『和名類聚鈔』の器皿部・木器類にある)。

「御殿の西の間に、御衣の机十二立てて、夏冬の御よそひ、御衾など、例のごとく、紫の綾の覆どもうるはしく見えわたりて、うちの心はあらはならず。御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃の覆したり。插頭の台は……」(『源氏物語』:机に衣をかけ飾り台のようにしたり、置物をおいたりしている)。

「凡(およそ)踞坐小牀及枮(ツクヱ)之時」(『南海寄帰内法伝』平安後期点:「枮(ツクヱ)」の上でしゃがむように坐(すわ)っている。「枮(セン)」は『説文』で「木也」とされる字)。

「此人居間の二階にて書案(つくゑ)によりて物を書てをられしが(仏経を書いていたそうである)…」(『北越雪譜』「寺の雪頽」:机によって写経している)。