「づきイウ(付き優)」。「づき(付き)」は、「目(め)つき」などのそれのような、印象、思念的・想的内容、の意。その連濁。「優(イウ)」は勝(すぐ)れ、優(まさ)っていること。「Aづきイウ(A付き優)→Aづく」はAという思念的・想的内容が優(まさ)りそれが優先的・優越的に作用する、ということ。Aであることが活性化し、それがすべてに優先し、ということ。たとえば「あいつはすべて金銭付(づ)き:金銭になる印象のこと、優(ユウ)、で、それがすべてに優先し、ものごとを決める→あいつはすべて金銭づくでものごとを決める」(想的に、金銭になるということがすべてに優先しものごとを決める)。
「物狂(ものぐるひ) 此道の第一の面白づくの芸能なり」(『風姿花伝』:能における、面白(おもしろ)、という点においては、物狂(ものぐるひ)、がもっとも優(まさ)っている。「物狂(ものぐるひ)」は『風姿花伝』の「第二 物學(ものまね)條々」において「物まねの品々」の中のひとつとして言われている)。
「今時(いまどき)の仲人(なかうど)頼(たのも)しづくにはあらず。其敷銀(しききん)に応じて、たとへば五十貫目つけば五貫目取る事といへり」(「浮世草子」『日本永代蔵』:今どきの仲人(なかうど)は頼(たの)もしいだけではないぞ)。
「『その事ぢや。たとへば、われ等がしたにもせよ。最前(さいぜん)何事にてもあれ、腹立てずく無しと約束した上は、それ程に云はうことではない』」(『狂言記』「六人僧」)。
「『…それまでに運尽きて、死ぬる期(ご)に極(きは)まつたらば、日頃申す通り、悪縁と思ふて下されませ。私ゆゑに大事の御身を捨てさせました』と涙ぐみ打ち萎れて見えければ。『又同じ事ばかり。それは互ひの因果づく。ただ忘れぬは二人の親。さていとしいは幼な馴染の以春様、こなたも私(わし)も微塵(みぢん)濁らぬこの心…』」(「浄瑠璃」『大経師昔暦』:どちらも、自分の意思ではどうにもならない因果で結ばれているんだ、ということ)。
「又位づくで長い戒名がならずは、平人は皆縁応(えんのう)信女のやうに短くするがいい。出家の御身分だから所詮金づくではなるまいス。又修行づくや功づくで長く号(つ)けるなら、お歴々を構はず、町人の金持を構はず、夭(わかじに)をした者はみな短くするがいい…」(「滑稽本」『浮世床』)。
「見ず知(しら)ずにも義理に依(よつ)て命を捨るは男の役。気遣(きづかひ)するな。首切(きら)れふが籠(牢)へいらふが。皆我科に引うけ。半七に憂目は見せぬと心は利発に逸(はや)れども。差當(さしあた)つて相手づく。思案にくれてぞ見へにける」(「浄瑠璃」『長町女腹切』:相手しだい)。
「今穆(ボク)王ハ遊山ヅクニアリカカレタ。堯舜ノ巡狩トハ大ニ異也」(『燈前夜話』:島根大学図書館にある本書では「アリカカレタ」になっているのですが、これは「アリカレタ(歩かれた)」の衍字でしょう。『燈前夜話』二巻「穆王」の部分。京都大学にある『燈前夜話』では「今穆王ハ遊山ドクニアルカレタ」になっている)。
「何時成共 家諸道具共ニ可被召上候 諸事 御公儀様之御法度づく」(『大日本古文書 家わけ四ノ三 石清水文書之1-6 一二五二 美豆村南堤上屋敷地子證文』:公儀の法度が優先し、そのままに。これは1685年のもの)。
「力づく」。「計算づく」。