この「つ」は「つれ(連れ)」などのように (「T音の思念性とU音の遊離感のある動態感により現在 (現(ゲン)に在(あ)り)の意) と思念が融合するような動態、時間的・空間的連動・同動、を表現する。同動情況にすること、なること」(「つれ(連れ)」の項)ということ)、同動を表現し、客観的に、二つの対象に持続的な同動感を生じさせることを表現する。二つの対象が空間的、時間的、意味的価値的に接着、接続、連続、といった動態になる。欠損した意味、価値その他を連続させれば補充の意にもなり、評価順位に連続すればそれに続く、評価が等価になるのではなく、価値は下がったり劣ったりしつつそれに連動する、の意になりもする(価値が下がったり劣ったりしていることにのみ着目し「つぎ」という語がもちいられることもある)。

「貴人(うまひと)の立つる言立(ことだて)儲弦(うさゆづる:于磋由豆流)絶え間(ま)継(つ)がむに並べてもがも」(『日本書紀』歌謡46:「うさゆづる(于磋由豆流)」は、失(う)せ張(は)り弓弦(ゆづる)、でしょう。切れた場合の補充用の弦(つる)。「言立(ことだて)」までは、これは皆が納得するような権威のある人がたしかなこととして言うことだ、これは信頼できるたしかなこととして言う、のような意。以下は、弓の弦が絶えたその間をつぐことができたら…。そんな思いであの女とつきあう(さらに言えば、あの女をそばにおく)のだから、正妻のお前は嫉妬したり怒ったりするな、お前を裏切ったりしていない、ということ。これはそういう事情の歌なのです)。

「逢はなくに夕占(ゆふけ)を問ふと幣(ぬさ)に置くに我が衣手(ころもで)はまたぞつ(續)ぐべき」(万2625:「逢(あ)はなく」は、「逢(あ)はぬ」のク語法。「逢はなくに」は、(あなたが)逢はないということで、逢はなくなってしまったので。衣手(ころもで)を幣(ぬさ)に捧げものとして置いたような言い方ですが、衣を置いたということでしょう。そして神にささげたら、切れた衣手はまたつながっていた(切れていなかった))。

「旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ我が片恋の繁(しげ)ければかも」(万3929:「繁(しげ)ければ」は、仮定ではなく、繁(しげ)きだから、という現状)。

「梅の花咲きて散りなば桜花継(つ)ぎて(都伎弖)咲くべくなりにてあらずや」(万829:これは欠損を補充し完成を維持回復させる意味になる。衣服の穴にあてる「つぎ」もそうした意味)。

「我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命(いのち)継(つ)がまし(都我麻之)」(万3733:これは欠損補充ですが、補充のないことは死を意味する)。

「次(つぎ)に月神(つきのかみ)を生(う)みまつります…………………其(そ)の光(ひかり)彩(うるは)しきこと日(ひ)に亞(つ)げり 以(もち)て日(ひ)に配(なら)べて治(しら)すべし。」(『日本書紀』:その光のうるはしきことにおいて、日よりは劣るが日にならぶ)。

「第一、祝言なるべし。いかによき脇の申楽(さるがく)なりとも、祝言缺(か)けては叶ふべからず。たとひ、能は少し次(つぎ)なるとも、祝言ならば苦しかるまじ」(『風姿花伝』:少し劣っていても)。

「外に居て恋ふれば苦し我妹子を継ぎて相見む事計りせよ」(万756)。

「注 …ソソク………ツク」(『類聚名義抄』:盃に酒をつぐ、などの「つぎ(注ぎ)」ですが、これは情況としての欠損補充。もてなしの欠損を補充しそれを完成させる)。

「骨接(つ)ぎ」(分離した骨の接合・一体化)。「家の跡継ぎ」。「語りつぐ」。