「子の一(ひと)つぎに易(か)へつるかも」(『古事記』:原文は「謂易子之一木乎」)などにある「つぎ」。「つぐるり」。R音は退行化し、「つぐうい」、のような音が、「つぎ」、になった。「つ」は所属を表現する助詞。「ぐるり」は。「くるり」の濁音化による強意ですが、「くるり」は「くるくる」という回転を表現する擬態に由来する語であり、なにかの全体を把握していることを表現する。「子の一(ひと)つぐるり(子の一(ひと)たるぐるり)→このひとつぎ」は、子の一(イチ)たる、それ以上ないその限度の、その程度の、という意味になる。つまり、「子の一(ひと)つぎに易(か)へつるかも」は、(「いざなみ」を)子の一限りに、無数の子を生みながら子の一程度に、替えてしまった、ということ。これはイザナミノミコトが火の神を生み神避(かむさり)が起こり、イザナキノミコトが言った言葉(この後、イザナキノミコトは黄泉国(よみりくに)へ行く)。
「一木」という表記は神格を「柱(はしら)」と表現することの影響によるものであろう→「この三柱(みはしら)の神は、みな独神(ひとりがみ)と成りまして…」(『古事記』)。「柱」の影響は受けつつ、「主」は書かれない。
この語は辞書では一般に「き(匹・疋)」の項になっている。「つ」は数詞と考え「ひとつぎ」は、一(ひと)つの「き」、と考えるわけです。ここでは「つぎ」という表現の説明をしている。
「山邊(やまのべ)の小嶋子ゆゑに人ねらふ 馬のやつぎ(八つぎ:耶都擬)は惜(を)しけくもなし」(『日本書紀』歌謡79:馬の八頭ぐらい惜しくもない)。