◎「つき(月)」(天体)

天体としての「つき(月)」です。「といくひ(程行く日)」。「と(程)」(この「と(程)」は甲類表記)は程度を意味する→その項。「ひ(日)」は天体たる太陽を意味する語になっているそれ。進行的な感覚的影響を表現する「ひ」です→「ひ(日・太陽)」の項。「といくひ(程行く日)→つき」、すなわち、程度が行く日、とは、その進行的影響、具体的には光(ひかり)、が程度を進行させる日(ひ:太陽)のようなもの、ということ。つまり、日々程度が変る。それも、無秩序に、ではなく、規則正しく、大きくなっていき、最大になり、小さくなっていき、なくなり、現れ、大きくなっていき…を繰り返す日(ひ)、ということです。暦としての「つき(月)」は別項。

「望月 ……和名毛知都岐」(『和名類聚鈔』)。

「あしひきの山より出づる月待つと人には言ひて妹待つ吾(われ)を」(万3002)。

「熟田津(にきたづ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(万8)。

「朝月日向山に月立てり見ゆ 遠妻を 待ちたる人し 見つつ偲はむ」(万1294:この「月(つき)立(た)ち」は天体たる月が地平から現れること。別に、暦たる「月(つき)」が始まる「月(つき)立(た)ち」もある。この歌の冒頭の部分は 「あさづきの ひむかのやまに」 や 「あさづくひ むかひのやまに」 といった読みがなされている。しかし、意味が判然としない。これは「あさつきにひむかふやま(朝、月に日向かふ山)」でしょう。朝、彼方に沈んでいく、別れていく、月に日が向かう山(日が昇る山)。その山に、夜になり、月が立った(昇った)、ということ。万2500に「朝月日向黄楊(あさつきにひむかふつげ)」(万2500)という表現がある。これは「黄楊(つげ)」に「告(つ)げ」がかかっているということでしょう。この歌は旋頭歌であり、語調は五七七・五七七)。

 

◎「つき(月)」(暦)

暦における、時間経過単位としての「つき(月)」です。「つき(尽き)」。(天体たる)月(その表面上の太陽の反射光)が現れ、広がり、満ち、狭まり、消失したとき、一つの「つき(尽き)」→「ひとつき(一尽き:一月)」となる。その「つき(尽き)」の真ん中は天体における満月です。これは暦(こよみ)における日単位の時間経過を表現する際の単位名の一です。天体名ではない女性の生理も「つき(月)」や「つきのもの(月のもの)」と言ったりする。

この時間経過単位としての「つき(月)」にかんしては、同じく時間経過単位としての「とし(年)」の一つが十二の「つき(月)」にわけられ、その十二の各々に名(な)がある。月の名(な)にかんしては「むつき(一月)」の項。なぜ十二なのかにかんしては、四季の各々に初めと中と終わりがあるということでしょう。

「…あらたまの 年(とし)が来経(きふ)れば あらたまの 月(つき:都紀)は来経(きへ)ゆく…」(『古事記』)。

「月に二(ふた)たびばかりの御契りなめり」(『源氏物語』)。

「わがゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月(つき:都奇)あはむものゆゑ」(万3586)。