「うちゆくはれ(内ゆ食はれ)」。語頭の「う」は退行化した。「ゆ」は経験経過を表現する助詞ですが、この場合は動態の経過域を表現する、内(うち)から、や、内(うち)で、の意。「くはれ(食はれ)」は「くひ(食ひ)」の受け身。「うちゆくはれ(内ゆ食はれ)→つかれ」、すなわち、内 (うち)から食(く)われ、や、内(うち)で食(く)われ、とはどういうことかというと、人は環境から、外から、なにかを自分の内(うち)へ取り入れて、つまり食って、生きているわけですが、それが、内(うち)で、内(うち)から、自分が食われているような状態になること。食っているのは自分なわけですが、そんな状態になり体力も衰弱していくこと。それが「うちゆくはれ(内ゆ食はれ)→つかれ」。この語は体力の衰弱を表現しますが、古くは空腹であることも表現した。
「見まく欲り吾がする君もあらなくになにしか来けむ馬疲るるに」(万164)。
「(日本武尊…)既(すで)に峯(みね)に逮(いた)りて飢(つか)れたまふ。山(やま)の中(うち)に食(みをし)す」(『日本書紀』)。
「疲 ……ツカル」「饑飢 …ツカル ウヘ…イヒニウヘタリ イヒウヘス」(『類聚名義抄』:「ウヘ」と書かれているが、仮名表記は「うゑ」が正しい)。