◎「ちんぷんかんぷん」

「ちんぷんかん」が「チンふむカン(陳。ふむ。勘)」。「陳(チン)」の意は、つらねる、や、ならべる、ですが、ものごとをそうする、という意味で、述(の)べる、という意味にもなる。全体的な内容のあるなにごとかを述べる。「ふむ」は、それに応じている発声。そして「勘(カン)」。この「勘(カン)」という語は、直感的な判断、という意味で用いられる。誰かがなにごとかを述べる、『ふむふむ』と聞く、しかし、なにを言っているのかよくわからない。部分部分意味は通じる。しかし、全体的に文意が通らず、なにを言っているのかよくわからない。そこは勘(カン)で判断しつつ事態が進行していく。それが「チンふむカン(陳。ふむ。勘)→ちんぷんかん」。さらに「ふむ」が加わって「ちんぷんかんぷん」とも言う。この表現は、述べている本人もその意味がよくわかっていない漢文系の学者(たとえば儒学者)の講義・講述を聞くことから起こった。日本で、仮に返り点のない漢文を読んだ場合、中国語の文はある文字・語が動詞か名詞かもよくわからず、返り方がでたらめであった場合、文はあるが全体的文意はわけがわからない日本語ができあがる。

「『…儒者といふ奴は、餘程(よつぽど)博識(ものしり)な者(もん)だと思つたら、一向しきなトンチキだぜ。ちんぷんかんぷんがどう仕つて、近う倚つて後に御拜(ごはい)あられませウツ。開張(けへちやう)場のいひたてが讒言(うはごと)をいふやうに…』」(『浮世床』:この場合は聞く方の「でんぼう」にも知性はない)。

「ちんぷんかん 儒生の漢語を云を世間よりいふ詞也」(『俚諺集覧』)。

 

◎「ちんぼこ」

「チン」は「チイン(痴因)」。「痴(チ)」は、意味は、知の健全な発達に問題があること。「因(イン)」はなにごとかがより、それによりなにごとかがあるなにか。この場合の「なにごとか」とは、痴(チ)。すなわち「チイン(痴因)→ちん」は、それにより知の健全な発達に問題が生じるなにか。素朴な言い方をすれば、馬鹿の原因(となりうるもの)。これは男性性器を言い、二音かさなり「ちんちん」とも言う。「ちんぼう」という語もあり、これは、その形体から、「ちん棒(ボウ)」。「う」が退行的に消え「ちんぼ」にもなる。「ちんぼこ」という語もある。これもその形体の印象から「ちん矛(ほこ)」。「ちんこ」もある。これは「ちんのこ(ちんの子)」の「の」の無音化。幼い子のそれを言ったものであろうけれど、愛称的なもの。

「ぐつとのぴたる男子の姿、………惣身は朱塗(しゅぬり)、ちんぼまで唐辛(たうがらし)共(とも)いひつべし」(「浄瑠璃」『浦島年代記』)。

「ちんぼう 小児の陰茎を云………大人のもいへり」(『俚諺集覧』)。