その葉から成分を抽出し嗜好飲料にするその樹木性植物やその葉。この「ちゃ」という語自体は英語の「tea(ティー)」とも同語源ですが、この語自体の語源にかんしては詳しいことはわかっていない。「茶」という漢字は、以前からあつた、ニガナ・ノゲシ(キク科の多年草)を意味する「荼(ト)」をもとにした別字。「𣗪」とも書く。つまり、この植物を表現する字はなく、「茶(チャ)」という字は、従来からあった、別の植物を意味する「荼(ト)」が、音もある程度似ており、どちらも苦(にが)いので、ある植物にあてられ、その字が変化した字であり、日本で「ちゃ」、中華人民共和国で「チャア」と言っている語の起源は、後世で「中国語」と言われるところの、漢族語ではないでしょう。ならばその起源は、となるわけですが、それは不明です。茶(チャ)と呼ばれる樹木性植物の原生地は現・インドのアッサム域から現・ミヤンマーの北部域、現・中華人民共和国の雲南域あたりということでしょうけれど、くわしいことはわかっていない。

日本へは700年代には中国(当時は唐)を経由して茶がはいっているようですが、これもくわしいことはわかっていない。当初は茶は薬草として扱われていたでしょうし、流通する多くの薬草の中にそれも混じっているということです。古くは茶葉を熱湯に漬けたり成分を煮出したりした。煮出す容器は「薬鑵(ヤクカン)→やかん」になる(茶だけ煮出すというわけではない)。茶葉を粉末状にしこれを湯に溶かし飲む茶の始まりはそうとうに後期であり、1200年代以降。「抹茶」という表記は1500年代以降。「抹茶 マツチヤ」(『運歩色葉集』(1548年))。中国で茶葉を粉末状にして飲むことがいつごろからあるかは不明ですが、様々な薬草をそのようにして飲むことはいつでも自然に各地で起こりそうです。精製されたこの「抹茶(まっちゃ)」により、日本では1500年代に、それ以前からの仏教の禅宗の影響なども受けつつ、「茶の湯」や「茶道」と言われる文化が育っていく。この文化は、単に茶に、その作り方や飲み方に、こだわるようなものではなく、ありきたりな人の生活のあり方一般にうつくしさを追求するようなものです。

そうしたことを背景に、ここで問題にするのは、植物名たる「ちゃ(茶)」という語の語源ではなく、「(ものごとを)ちゃかし(茶化し)」、「おちゃめ(お茶目)」、「(人を)ちゃにする(茶にする)」などの「ちゃ」です。

抹茶であれ煎茶(センチャ:厳密には、熱湯で茶葉を煮た状態になれば煎茶、茶葉に湯を注いでこれに浸せば淹茶(エンチャ)ということになるでしょう)であれ、飲茶の習慣が庶民に定着していくにつれ、客のもてなしとしてこれが供され、菓子なども出されたりしたわけですが、そこでの話は、つねに和気あいあいとした楽しいものというわけではなく、相手はそれを言いたかったとしても、聞かされる方は聞きたくもない話であることもあり、ただ茶を飲んで時を過ごし、茶は、ただ単に、その時間を少しでも快適に過ごすための道具になる。茶をすすり、いかにももっともらしくうなずいたりする。そして「茶を言ふ」が、適当にいいかげんなことを言う、「茶にする」が、適当にあしらう、という意味になっていく(茶をすすめたりすることが、話をはぐらかしたりごまかしたりする、という意味になる。そうしたことが最も日常的に起こったのは遊郭かもしれない。遊郭では茶も酒もでる。客は、もてようと、自分がどれほど社会的に権勢があるかや、どれほど男らしいかなどを語り、女は、(客商売であるから)いかにも感心しているかのようにもっともらしくそれを聞く)。

「ちやにする ……人のいふ事をとのような事でももつともと(尤もと)うけたかほをする(受けた顔をする)」(「洒落本」『胡蝶の夢』(1778年))。

「…ためにもなりそふゆへそふおふ(相応)にちやをいふておきける(茶を言ふておきける)ゆへ絵そらごとといゝそめしなり」(「黄表紙」『御存商売物』(1782年))。

「能アル鷹モ、オトナシウ爪ヲ秘(カク)セバ、鳶(トビ)カト思ツテ、タハケ共ガ茶(チヤ)ニシタリ馬鹿(バカ)ニスル故…」(『志都の岩屋講本』(1811年))。

「今の女郎は無筆無芸にして、茶といへは人をはぐらかす事とおぼへ」(「洒落本」『大通愛相尽』(1811年))。

・「ちゃかし」。「ちゃけあはし(茶気会はし)」。「あひ(会ひ)」は、ひどい目にあふ、などのそれ。その使役型他動表現。茶(ちゃ)の気(け)に会(あ)わせる、とは、適当にあしらふ、誠実に対応しない、さらには、からかう、さらには、弄(もてあそ)ぶようにものごとをごまかしたり(つまり、相手は騙された状態になり)、それにより相手から何かを手に入れてしまったり(相手としてはからかうようにだまし取られたり)すること。「十かんめといふしきぎんを(十貫目といふ敷銀を)あのをんなめにちやかさりよかと(あの女めにちゃかさりよかと)なみだがこぼれてくちおしいわいなふ(涙がこぼれて口惜しいわいなふ)」(「浄瑠璃」『卯月の紅葉』)。「まだに戯家(たはけ)がやまぬかして動(やや)もすれば石芋(くはずいも)石蛤(くはずはまぐり)で人をちやかし」(「談義本」『根無草』:「石芋(くはずいも)…」は、弘法大師が法力で芋を石に変えたという伝説を言い、いいかげんな法力で人をちゃかしていると言っている)。

・「お茶を濁す」。茶を言い(相手の言い分をうまくあしらうような対応をし)、それを見通しにくくする。つまり、巧みに言い、事情をごまかす。

・「お茶目(ちゃめ)」。「茶(ちゃ)萌(も)え」。茶が萌えている、茶が現れそうだ、ということ。「茶(ちゃ)」は、はぐらかす、てきとうにあしらう、こと。とくに幼い女の子にかんし言われ、大人の権威に従属した対応をしない。

・「茶番(ちゃばん)」は、劇場で茶番に当たっている役者がそこいらの道具で、適当に工夫した演じごとを行うこと、その演じごと。つまり、まったくどうでもいいような芝居などをいう。

・「茶をひく」は、遊郭で、客のつかない遊女が小さな石臼で茶葉をひき抹茶にする作業をすること。