これは枕詞の「ちはやぶる」ではありません。それは別項。

「ちはやみふる(血逸み振る)」。これが、ちはやむる、になり、む、は連濁している。「はやみ(逸み)」は「はや(早・逸)」の動詞化・自動表現。心情が昂進し興奮したり、勇み立ったり、といった状態になる。「ふる」は存在を感知させること、現すこと→「ふり(生り・振り・遊離り)」の項。「ちはやみふる(血逸み振る)→ちはやぶる」、血(ち)が、心情が昂進し興奮したり、勇み立ったり、といった状態になり現れる、とは、血が激流となって(そうなったような状態が)、感じられ現れる、ということであり、まったく興奮した状態になっている、ということであり、理性に欠けている野蛮な、文化程度の低い、という意味にもなる。

「此(こ)の葦原中國(あしはらのなかつくに)は、我(わ)が御子(みこ)の知(し)らす國(くに)と言(こと)依(よ)さし賜(たまへ)りし國(くに)なり。故(かれ)、此(こ)の國(くに)に道速振(ちはやぶ)る荒振(あらぶ)る國(くに)つ神(かみ)等(ども)の多(さは)なりと以爲(おもほ)す」(『古事記』)。

「豐葦原中國(とよあしはらのなかつくに)は、是(これ)吾(わ)が兒(みこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。然(しか)れども慮(おもひみ)るに、殘賊强暴横(ちはやぶる)惡(あ)しき神者(かみども)有(あ)り」(『日本書紀』)。

「…鳥(とり)が鳴(な)く 吾妻(あづま)の国の 御軍士(みいくさ)を 喚(め)したまひて ちはやぶる(千磐破) 人を和(やは)せと 奉(まつ)ろはぬ 国(くに)を治(をさ)めと…」(万199)。

「…ちはやぶる(知波夜夫流) 神をことむけ まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃(は)き清(きよ)め 仕へまつりて…」(万4465)。

「ちはやぶる(知波夜夫流) 宇治の渡(わたり)に 棹(さを)取りに 速けむ人し 我がもこにこむ」(『古事記』歌謡51:「もこにこむ」にかんしては「もこ」の項)。「ちはやぶる(血早奮) 宇治の渡り 瀧(たき)つ屋の 阿後尼(あごね)の原を…」(万3236)。「ちはやぶる(千速振) 宇治の渡りの たぎつ瀬を 見つつ渡りて…」(万3240)。これらから、「ちはやぶる」が地名「宇治(うぢ)」の枕詞とも言われる。しかし、『古事記』歌謡52には「ちはやひと宇治の渡(わたり)」(「ちはやひと」にかんしてはその項)という表現があり、万2714には「もののふの八十(やそ)宇治川の早き瀬に立ちえぬ恋も我れはするかも」といった歌などもあり、ようするに、宇治川はその早瀬で知られていたのでしょう。それが「ちはやみふる(血逸み振る)→ちはやぶる」と表現されたわけです。多少後世になる『古今和歌集』には「ちはやふる宇治の橋守なれをしそあはれとは思ふ年のへぬれは」という歌がある。ちはやふる宇治川を安全にわたる橋のその橋守に、年老いると、感銘深くなる…。ようするに「ちはやぶる」は「宇治(うぢ)」の枕詞ではない。枕詞の「ちはやふる」にかんしてはその項。