「ちなみ(路並み)」。「ち(路)」は、物的空間的にであれ、価値的、社会的にであれ、目的感のある方向、それゆえのものやことのあり方(生態的あり方・社会的あり方)、を意味する(→「ち(路)」の項)。動詞「なみ(並み)」は客観的に均質であることを認める意思動態になること→「なみ(並み)」の項(これは自動表現。他動表現は「なめ(並め)」)。つまり「ちなみ(路並み)」は、方向、ものやことのあり方(生態的あり方・社会的あり方)、が(全体で一であるかのように)均質であることを認める意思動態になること。「AにちなみBする」は、Aとそのあり方が均質なこととしてBをする。「ちなみたる人A」は、社会的に全体で一になるような均質な関係にあるA(Aはそれほどに親交のある関係にある人)。男Aと女Bが相互にそのような関係にある場合、男と女の深い契(ちぎり)の関係にある二人であり、俗には、性的関係にある二人を意味したりもする。

なにごとかを言う前に「ちなみに」という表現がある。これは、これから述べることが、それまでに述べたことや起こったことと、さまざまな意味で、均質であることを事前的に表現し、ただ「ちなみに」とも言いますが、歴史的には「ちなみに言ふ、…」という言い方が多い。それとは別に、「動態(A)連体形ちなみに…」という表現はAという動態と質的に同じに、その動態の情況で、ということ→「美しき器(うつは)に心を奪われしちなみに家族を失ひ」(若い頃から陶芸・焼き物に夢中になり、その人生を生き、年老い、貧しい生活をおくり結婚することもなかった、という意味)。「ちなびに」という表現もありますが、これは「ちなびに」の方が表現が客観的というだけで、事実上、意味は異ならない状態になる(→「ちなびに(因に)」の項)。

「前ニ吾レ、汝カ目ノアタリヲ見(みる)ニ、道ヲ知ラヌ者ト見コメタリ 吾因―ソレニチナミテ、(吾は)汝カ心ヲ得タリ」(『荘子抄』:目を見、それに同質化しお前の心となりそれを知った。「とがのたよりとなるあくのもとひとそのちなみ(科の便りとなる悪の基とその因)」『どちりなきりしたん』(1600年版):「あくのもとひ」にちなみ「とがのたより」がある)。

「永代(えいたい)と称(よぶ)橋(はし)に因(ちなめ)ば長物語(ながものがたり)の拾遺別傳(しういべつでん)でなく續編ならず同じ時代の前(あと)と後(さき)」(「人情本」『春色英対暖語』:「永代(えいたい)」という橋に同質的に言えば。書名の「英対(えいたい)」は「永代(えいたい)」にかかってもいるんだぞ、ということ。書名の「英対暖語」は、英(はなぶさ)に対し暖(あたた)かに語(かた)る、と読むそうである。本書の序文にそう書いてある)。

「尊照寺村に住せし大橋善次郎秀元は互に竹馬の時よりもちなみたる朋友なれば…」(『浅井三代記』)。

「ねぢけ人の口ゆゑに、あるじの人とわらはこそ、ひそかにちなみまゐらすると、あだなるなんを立てられて、北の方へ洩れ聞(きこ)え…」(「浄瑠璃」『公平誕生記』:この「ちなみ」は男女の関係になること)。

・「ちなみに」

「お川『…けふは日本橋の藤の丸から膏薬を買つて来てもらつた』 お山『そりやァ能(よ)かつたの。あすこの膏薬は能(よ)くきくとさ。 因(ちなみ)に云(いふ)。藤の丸は旧家なり。慶長年中、湯島天神の門前に於て創業し…』」(「滑稽本」『浮世風呂』:この「因(ちなみ)に云(いふ)」以下は、相手に対してではなく、周囲の人々に言っている。薬の話がでたからその縁で、ということ。ちなみに言う。『浮世風呂』を書いた式亭三馬は34歳のときから薬屋をやっている)。

「東山のふもと草のいほりのやけ野の原となりにしちなみに和歌の浦のもしほくさもおなしけふりにたちのほりしこそ いひてもかひなくをしみてもあまりありしか」(『草根集』:これは上記「動態(A)連体形ちなみに…」の例)。