◎「ちくら」
「チウうきゆら(中浮き揺ら)」。「中」の音(オン)は「チュウ」ですが、「ちう」と書かれる(→「是等は世帯の事にて、中(ちう)より下の…」(『西鶴織留』:「ちう」の読み仮名は原文にあるもの))。「ゆら(揺ら)」は揺れる状態にあることを表現する擬態ですが、これは海の波にゆれている。「中(チウ)」は「中国(チウゴク)」を意味する。「チウうきゆら(中浮き揺ら)→ちくら」は、中国がぼんやりと浮いてゆらゆら揺れる、ということなのですが、どういうことかというと、船で日本から中国へ行く場合、このあたりは日本、という海域を行き、このあたりは中国、という海域に入るわけですが、その中間域に、なんとなくぼんやりと中国が浮かんでくる域がある、日本域→ちくら→中国域、という進路になる。この語が意味発展し、どちらともつかない、あるいは、どちらともいえる、ことやものが「ちくら」と言われる。さらには、夕暮れ時の、見えるような見えないような情況が「ちくら」と言われたりもする。江戸時代には、でたらめな意味のわからないことを言う儒学者を「ちくら儒者」と言ったりした。
「日本とたうとのしほさかひちくらかおきに陣をとり(日本と唐との潮境ちくらが沖に陣をとり)」(『たいしよくわむ(大織冠)』「幸若」)。
「唐人(たうじん)とも見へず、和人(わじん)ともしれぬ筑羅(ちくら)もの」(『蛙の物真似』「談義本」)。
◎「ちくり」(動)
「ちく」の動詞化。「ちく」は関東(茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉方面)の方言で嘘やごまかしたる言動を意味する。語源は、非常に細いもので刺すことを表現する擬態→「虫がちくっと刺した」「針でちくちく縫ふ」。「さし」という動詞(→「さし(射し・差し(挿し・刺し・注し・障し・止し・鎖し)・指し)」の項)には、たとえば「傘をさし」が、「さし」の異物感・異事象感を生じさせる効果により、傘を環境に現すことを表現するように、「荷をさし」が荷を担ぐことを意味したりする。「此の谷に六拾貫目余もありける丸き大石あり………諸侍これをささんとすれども…」(『安宅一乱記』:これも担ぐ、あるいは、担ぐようにかかげて、いるでしょう)。つまり「ちく」が、事象として小さく、さすこと→担ぐこと、を意味する。そして、「(人を)かつぎ」は、担がれた人の意思にかかわらず人をどこかへ連れて行ってしまう、という意味で、騙(だま)し、や、誤導し、という意味にもなる。それにより、人を騙(だま)すこと、あるいは、人をのせ誘導・誤導すること、が「ちく」と表現される。しかしそれは、人間的・社会的に痛みはあるが、死にいたるような重症を生じさせる「刺(さ)し」ではない。それは「ちくり」とくるような痛みをともなうようなもの。
「『アニおれがちくを云べい。ほんのこんだ。人と一度けいやくをした事を此年迄間違つた事のねへ男だ』」(「洒落本」『甲駅夜錦(かうゑきよるのにしき)』(1800年代最初期頃と言われる):このセリフを言っているのは「さるかた田舎」の百姓だそうです。これは方言でしょう(「~べい」は関東方面の方言))。
この「ちく」の動詞化が「ちくり」。意味は、上記「ちく」の動態情況になること。騙(だま)す、誘導し誤導する、という意味になりますが、俗語で「ちくる」は告げ口、密告も意味している。これは社会的に私を刺した、という意味でも用いられているということでしょう(ただし、告げ口と誤誘導は同じことの表現に成り得る)。上記の「ちく」は明治9(1876)年初演の歌舞伎台本にもありますが、その動詞化「ちくり」は明治以降かもしれない。また、発生は関東の方言的なものかもしれない。