◎「ちぎり(捩り)」(動詞)

「つひひききり(終引き切り)」。終局的に、引き、断絶させること。なにかを、それが切断する方向へ力を加え、終局まで加え、それを断絶させる。

自動表現は「ちぎれ」→「ちぎれんばかりに小旗を振る」。

「みる(海松)のひきぼしの短くちぎりたるをゆひ集めて…」(『蜻蛉日記』)。

「藁(わら)のしべをまはりにさし入れてかねをへだてて、頚(くび)もちぎるばかり引きたるに…」(『徒然草』:これは、宴席で、酔った勢いで、鼎(かなへ)を頭にかぶり踊るという芸を披露し、頭が抜けなくなり死にそうになった男がおり、最終手段ということで皆で頭を引き抜いた際の話。首と鼎(かなへ)の間に藁をいれ保護したわけです。最終的には「耳鼻かけうげながらぬけにけり」だそうです)。

・「~ちぎり」。「ほめちぎり」など、動態に付せられる「ちぎり」。「つひいききり(終行ききり)」。語尾の「きり」は、「(ものごとを)やりきり」や「(ビールをすべて)飲みきり」などの、動態が終局・完成に入ることを表現するそれ。「~つひいききり(終行ききり)→~ちぎり」は、「~」で表現されるある動態が終局的完成的であることを思わせることを表現する。それほど激しかったり、深い心情が感じられたりする。「ほめちぎり」は、ほめることがそうした状態になる。「ひきちぎり」は、通常は、この「~ちぎり」ではなく上記の「ちぎり(捩り)」であり、引くことが終局的完成的であるわけではなく、引くことによって捩(ちぎ)る(断裂させる)。

「目も赤く睨(にら)みなして数珠(ずず)を砕(くだ)けぬと揉(も)みちぎりて『召し返せ召し返せ』と叫ぶ」(『宇治拾遺物語』:揉(も)んで数珠を断裂させたわけではない。終局極限的に揉(も)んだ。「馬が駈(か)けちぎり」や「月が冴(さ)えちぎり」といった表現もある)。

 

◎「ちぐはぐ」

「チングウはグウ(趻遇端遇)」。「趻(チン)」は片足であること。片足で跳んだり進行したりすることを「ちんちん」と言いますが、それ。「遇(グウ)」は遇(あ)うこと。それも、予期も期待もなしにあうこと。「禺(グウ)」は大頭の猿の象形だそうです。それに「心」がつけば「愚(グ:おろか)」。「辶(辵(チャク))」は歩くこと、進むことを意味し、「禺」に「辶」がついて、なにも考えない大頭の猿が歩いてなにかやなにごとかにでっくわすことが「遇(グウ)」。「チングウ(趻遇)」は、片足で遇(あ)ふのではない。片足同士が遇(あ)ふ。両足が揃っていないもの同士があう。「は(端)」は全体のなかの一部。「はグウ(端遇)」は全体として完成しない全体の一部同士が遇(あ)ふ。つまり、「チングウはグウ(趻遇端遇)→ちぐはぐ」は、二で完成する何かの、完成しない片方同士が遇(あ)ったり、全体として完成しない不完全な一部同士が遇(あ)ふこと。あるものやことがそういう状態であること。

「ひくい下駄のちぐはぐなるを二そくもつてくると…」(『続膝栗毛』)。

「話がちぐはぐ」「ちぐはぐな言動」。話や言動が一体的全体的に完成・成立しない。