「うちいひかひ(内言ひ交ひ)」。ここでの「うち(内)」は人の内心。「かひ(交ひ)」は、交流の動態情況になることですが、たとえば、「恨(うら)みをかひ(恨みを交ひ)」の場合、他者の恨むこととの交流情況にあり、恨まれる。復讐であれ信仰であれ、それを「うちいひかひ(内言ひ交ひ)→ちかひ」、すなわち、それを「内に」、「内に言ふ」動態で、交流の動態情況になった場合、それを内心に自分が自分に言い(自分は言われ) 復讐であれ信仰であれ人は言われたとおりにする動態情況になる。内心に言われなければ誓いは破られている。自分は言われるということはそれは理性なのですが、それは自分が言い、その主体は自分が無意味化した一般的なものともなり、人智を超越した主体の言いとして「神の誓ひ」や「仏の誓ひ」なども言われる(神や仏に(神かけて、や、仏にかけて)誓ふのではない、観音や仏の言ひたる誓ひ)。
「是(ここ)に、左大臣(ひだりのおほまへつきみ)蘇我赤兄臣(そがのあかえのおみ)等(ら)、手(て)に香鑪(かうろ)を執(と)りて、次(ついで)の隨(まま)に起(た)つ。泣血(な)きて誓盟(ちか)ひて曰(まを)さく、『臣等(おのれら)五人(いつたり)殿下(きみ)に隨(したが)ひて天皇(すめらみこと)の詔(みことのり)を奉(うけたまは)る。若(も)し違(たが)ふこと有(あ)らば、四天王(してんわう)打(う)たむ、天神地祇(あまつかみくにつかみ)亦復(また)誅罰(つみ)せむ。卅三天(さむじふさむてん)、此(こ)の事(こと)を證(あきら)め知(しろ)しめせ。子孫(うみのこ)當(まさ)に絶(た)え、家門(いへ)必(かなら)ず亡(ほろ)ぴむか』と、伝々(しかしかまをす)。」(『日本書紀』)。
「玉かづら絶えてもやまじ行く道の手向の神もかけて誓はむ」(『源氏物語』:これだけだと意味のわかりにくい歌ですが、これはこの少し前にある「絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる」(頼みにしていたあなたが、そんなことは思ってもいなかったのに、行ってしまう)に応えた歌。あなたへの思いはやみません、ということ)。
「『限りある御命にて、この世尽きたまひぬとも、ただ、今しばしのどめたまへ。不動尊の御本の誓ひあり。その日数をだに、かけ止めたてまつりたまへ』」(『源氏物語』これは、ある人が死亡(後に蘇生しますが)したその直後、これは悪霊のようなものがはたらいている、ということでそれを祓う加持祈祷が行われ、招集された験者が祈祷しつつ言っている。不動尊の誓ひがあるはずです、それを思い出して今少し命をのばしてください、ということ。「不動尊の御本の誓ひ」にかんしては、「正」に報いることに尽くした者は寿命が少しのびるそうです)。
「『今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと。なかなかにも思ひたまへらるべきかな』」(『源氏物語』:これは籠りの修行を自己に課している僧が言っている。その籠りの年限が今年いっぱいということ)。