◎「ち(乳)」

乳児が吸う際の音印象に由来する擬態。二音重ねて「ちち(乳)」とも言う。母乳。意味発展的に乳房も言う。

幟(のぼり)を竿にかけるための、幟に装着された輪やそうしたものを「ち」と言い「乳」と書き、乳首に形が似ているから、とも言われますが、これは「釣針(ち)」でしょう→「ち(釣鉤)」の項。紐状のもののその形が釣針に似ているから。

「みどり子のためこそ乳母(ちおも)は求むと言へ乳(ち)飲めや君が乳母(おも)求むらむ」(万2925:この歌は相当に年下の男から恋文を受け取った女によるものでしょう。最初の「乳母」は一般に「おも」と読まれていますが、『倭名類聚鈔』の「乳母」の項に「和名 知於毛」という記述があり、ここではそう読んでおいた。原文は「乳母」。二番目の「乳母(おも)」の原文は「於毛」→「おも(母)」の項・2020年12月12日))。

「うちまもりつつ(見つめつつ)、(赤ん坊を)ふところに入れて、うつくしげなる御乳(ち)をくくめたまひつつ、戯れゐたまへる御さま」(『源氏物語』:これは自分が産んだ子ではないが、懷(ふところ)に入れ乳房をふくませあやしている)。

「乳 ……和名知 母所以飲子之汁也」(『倭名類聚鈔』)。

 

◎「ち(父)」

「いつゐ(厳居)」。「い」の脱落。「いつ(厳)」はその項(2020年1月7日)参照。「いつゐ(厳居)→ち」は、権威の在り、ということですが、権威者、のような意味であり、尊称です。この「ち」にさらに助詞の「つ」と動詞「ゐ(居)」の連用形が加わりさらに丁寧な表現になると「ちつゐ(「ち」つ居)→ちち(父)」になる。この「ちち」は男親の尊称にもなる。

「横臼(よくす)に醸(か)みし大御酒(おほみき) うまらに聞こしもち食(を)せ まろがち(麻呂賀知)」(『古事記』歌謡49:「まろ」は、原意は、男に対する美称)。

「父… …………父加曾(かそ)……俗云父 和名知々」(『和名類聚鈔』:「かそ」に関しては「かぞ(生父)」の項(下記))。

 

◎「かぞ(生父)」

「かはせを(交はせ緒)」。

「かはせ(交はせ)」は「かひ(交ひ)」の尊敬表現「かはし(交はし)」の客観的対象の(活用語尾E音化した)自動表現。客観化された表現の間接性は敬いの現れ (つまり尊敬表現。「お交(か)はしになり」のような意。つまり、この「かはせ(交はせ)」は「かひ(交ひ)」に使役・尊敬の助動詞「~せ」がついているわけではないということ。それとは別に尊敬の助動詞「~し」(四段活用)があり、それがE音化しているということ。父たる人が、(交流している)交(か)ひ人、なのではなく、(客観化している)「を(緒)」が、「交(か)ひ」にある緒(を)、交(か)ひ緒(を:これが先祖総体のような意味になる)、であり、それが交(か)ひ緒(を)の人、を意味した、ということ。また、「かはしを(交はし緒)」でもよいのでは、と思われるかもしれないが、なぜそうならないかというと、この語の「そ」は『上代特殊仮名遣』における乙類音表記だからです。「しを」の場合は甲類表記になるはずなのです)。

「を(緒)」に関しては「いも(妹)」の項参照。「かはせを(交はせ緒)」は、交流している(が敬いをもって表現されている)緒(を)(の人)という意味ですが、「を(緒)」(過去・現在・未来とへとつながる血族的人間関係(これに敬いが感じられている))を交流させている人、という意味です。

この語「かぞ」は人の生父・「父」を意味する。古くは「かそ」と清音ですが、後に「かぞ」と濁音化する。

「菱城邑(ひしきのむら)の人鹿父(かかそ) 鹿父は人の名なり。俗、父を呼びて柯曾(かそ)とす」(『日本書紀』仁賢六年是秋)。

「任那(みまな)は安羅(朝鮮半島南部)を以(も)て兄(このかみ)とす……安羅の人は日本府(やまとのみこともち)を以て天(かそ)とす」(『日本書紀』欽明五年三月)。

「父母 ……父 加曽 母 伊呂波 俗云父 和名知々 母 波々」(『和名類聚鈔』)。