◎「ち(血)」
「ちゐ(路居)」。路(みち)としてあるもの、ということですが、この場合の「ち(路)」は血管であり、血管としてあるものということです。体を廻っているもの、ということでしょうか。
「於是(ここ)に伊邪那岐命(いざなきのみこと)、御佩(はか)せる十拳劒(とつかのつるぎ)を拔(ぬ)きて其子(そのこ)迦具土神(かぐつちのかみ)の頸(くび)を斬(き)りたまひしすなはち其(そ)の御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血(ち)湯津石村(ゆついはむら)に走(たばしり)就(つ)きて成(な)れる神(かみ)の名(な)は……」(『古事記』)。
ただ「ち(血)」と言っただけで時間的空間的血族関係やその関係にある者(血族)の特性を表現したりもする。「母御の血筋をつたへし爲、血は争はれぬものでござりまするな」(『修善寺物語』(岡本綺堂))。また、「血で血を洗ふ」は、殺生を殺生で、殺傷を殺傷で浄化しようとするような行為も言いますが、血族同士が争うことも言う。
◎「ち(霊)」
「うちひ(打ち魂)」。「ち」の音(オン)だけが残った。「うち(打ち)」は現実化(表すこと)を表現する。すなわち「うちひ(打ち霊)→ち」は、現実化している「ひ」の意になる。「ひ」は「たましひ(魂)」にあるそれ(→「たましひ(魂)」の項・1月5日)。現れている「ひ」。現実世界に宿り住んだ「ひ」。「精霊」のような意味です。
「のづち(野つ霊)」:「次に風の神 名は志那都比古(しなつひこ)の神 此神名以音 を生み、次に木神 名は久久能智(くくのち)の神 此神名以音 を生み、次に山の神 名は大山上津見(おほやまつみ)の神を生み、次に野の神 名は鹿屋野比賣(かやのひめ)の神を生みき、亦の名は野椎(のづち)の神と謂(い)ふ」(『古事記』)。
「みつち(水つ霊) :「つ」は所属の助詞」:「虎に乗り古屋(ふるや)を越えて青淵(あをぶち)に鮫龍(みづち)取り来む剣刀(つるぎたち)もが」(万3833)。「蛟 ……和名美豆知……龍属也 山海経注云蛟 以蛇而四脚…」(『和名類聚鈔』:これは中国語の「蛟」の説明)。