◎「たわやめ」
「たわ」は、加えられた外力に対応し自己を維持しつつ柔軟に応じている状態であること(その項)。「やは」は抵抗感が希薄であること(「やはし(和し)」の項)。「たわやはめ(撓柔女)→たわやめ」は、環境からの、つまり人からの、影響作用に対応し自己を維持しつつ柔軟に応じ抵抗感が、人に抵抗を生じさせることが、希薄である女。同意として扱われている「たをやめ」という語もあり、これは「たわおふよわめ(撓追ふ弱女)」。「たわおふ(撓追ふ)」に関しては「たをやか」の項。「たわおふよわめ(撓追ふ弱女)→たをやめ」は、うねるような動態情況が感じられる弱い印象の女。外的影響作用を自己の撓みを動態的に吸収してしまうような(つまり、それを負い消化する力のある)弱い(あるいは、外的に弱い印象を受ける)、女。つまり、「たわやめ」も「たをやめ」も抵抗が弱く従順そうに見える。しかし、柔らかく、あるいは撓(たわ)んで、それを負い、吸収、消化してしまう力や能力がある。後世では遊女を「たをやめ」と言ったりもする。いずれにしても、印象としては、それは女であり(子供ではない)、柔らかさ、柔軟さ、が感じられ、美人(外観というよりも、人間的に人を、特に男を、惹く能力のある女)である。漢字表記では「手弱女」と書かれたりもする。
「爾(ここに)速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、天照大御神(あまてらすおほみかみ)に白(まを)しく「我(わ)が心(こころ)淸(きよ)く明(あか)し、故(かれ)、我(わ)が生(う)める子(こ)は手弱女(たわやめ)を得(え)つ。此(これ)に因(よ)りて言(まを)さば、自(おのづか)ら我(われ)勝(か)ちぬ」(『古事記』:「手弱女(たわやめ)」を得ると心が清く明(あか)きことのあかしになるらしい)。
「吾(われ)は是(これ)男子(ますらを)なり。理(ことわり)當(まさ)に先(ま)づ唱(とな)ふべし。如何(いかに)ぞ婦人(たわやめ)にして反(かへ)りて(逆に)言(こと)先(さきだ)つや」(『日本書紀』:「つま(夫・妻)」(古代では男も女もそういう)という関係になるには、女から、ではなく、男から、先に意思を伝えるべきらしい)。
「…ますらをの 心はなしに たわやめ(手弱女)の 思ひたわみて たもとほり 我れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ」(万935)。
「たをやめの袖にまがへる藤の花見る人からや色もまさらむ」(『源氏物語』)。
「遊女 …………是をたはれめとも、たをやめとも、一夜妻ともいふ…」(「評判記」『色道大鏡』(1678年))。
◎「たをやか」
「たわおひやか(撓追ひやか)」。「~やか」は「さはやか(爽やか)」「はれやか(晴れやか)」など、そうした情況であることを表現するそれ。「たわ(撓)」はその項。「たわ(撓)」が「おふ(追ふ)」とは、うねるような動態が起こっていること。「たわおひやか(撓追ひやか)→たをやか」はそうした情況であること。
「嫋娜ハタヲヤカナル㒵也。コノ女ノ舞フスガタ、タヲヤカニシテ楊柳ヲ風ノ吹キカヘスヤウナルソ(『中華若木抄』)。
「草の花は………萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる…」(『枕草子』)。