◎「たれ(誰)」
「ひとあれ(人有れ)」。「ひ」の脱落。「あれ(有れ)」は已然形。人あれ……、人はあるが……、という表現。「ひ」は消音化した。それにより、人のいることは認知されているがその個別的・具体的な同定がなされない状態、人がいることは知られるが、それが知っている人なのか知らない人なのか、知っているならそれはどの人なのか、特定できない、ことを表現する。この語は後に「だれ(誰)」と濁音化する。濁音化は1600年代の前半ころらしい。濁音化は「どれ」「どこ」「どの」などの影響によるものでしょう。
「春柳かづらに折りし梅の花誰れ(たれ:多礼)か浮かべし酒坏(さかづき)の上(へ)に」(万840:柳はかづらに折った、そこに飾(かざ)しにしようと思っていた梅の花は誰かが酒に浮かべてしまった(飾しにするにはその酒を飲まねばならないではないか)、ということか。これは梅咲く苑での宴会での歌)。
「ひさかたの雨の降る日を我が門(かど)に蓑笠(みのかさ)着ずて来(け)る人や誰(た)れ」(万3125)。
「やまとの高佐士野(たかさじの:多加佐士怒)を七(なな)行(ゆ)く娘(をとめ)どもたれ(多禮)をしまかむ(摩加牟)」(『古事記』歌謡16:「たかさじの:多加佐士怒)」は地名と思われますが、所在不明。「まき(設き)」は、期待し、のような意。「たれ(多禮)をしまかむ:誰をし設かむ」は、誰が運命の人になるのだろう、のような意。この「まき」は「手枕まかず…」(万4113)にあるような「まき(枕き)」ではない。「をとめ」を、枕(ま)く、という表現は奇妙(ただし、後世にはそうした用い方の「まき」も現れる→「まき(枕き)」の項))。
「誰れぞ。名のりこそ、ゆかしけれ(どなたですか。お名のりいただきたいのですが)」(『源氏物語』)。
「いま京の人たちのもの申さるること葉をきくに或はたれといふことをたの字をにこり…」(『徒然慰草』(1652年))。
◎「だれ(疲れ)」(動詞)
「だり(疲り)」の客観的の自動表現たる活用語尾E音化。意味は「だり(疲り)」の項。
「兵士が、全くだれてしまった態度で、雪の上に群がっていた。何か口論をしていた。」(『橇』(黒島伝治))。