◎「たり(垂り)」(動詞)

擬態「たらたら」にある「たら」の動詞化。「たら」は「つはら」。「はら」は断片的感覚情況にあることを表現する。「つ」は同動・連動感を表現する→「つれ(連れ)」の項。「たら(つはら)」「たらたら」(反復は動態の連続・永続を表現する)は、何かに同動しつつ断片的感覚感のある情況になること。その動詞化「たり(垂り)」も形状や動態が同動しつつ断片的感覚感のある情況に、情況に任された自由運動に、なること。自由運動は、自然現象として、自然落下する。これは客観的対象の自動表現になり「たれ(垂れ)」になる。

「大君の 任(まけ)のまにまに 島守(しまもり)に わが立ち来れば ………… 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白髭(しらひげ)の上ゆ 涙垂り(奈美太多利) 嘆きのたばく(のたまはく)…」(万4408)。

「うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること」(『源氏物語』)。

「しぼつてもやせ親父よもや汁はたるまいと…」(「浄瑠璃」『御所桜堀川夜討』)。

 

◎「たれ(垂れ)」(動詞)   「たり(垂り)」の客観的の自動表現たる活用語尾E音化、と、「たり(垂り)」の他動表現。「Aがたれ」「Aをたれ」、どちらもある。意味は「たり(垂り)」の項。

「をとめらが 麻笥(をけ)に垂れたる 続麻(うみを)なす…」(万3243:「をとめらが」の「が」は主格ではない。つまり、をとめらが垂れ、ではなく、をとめらの麻笥(をけ)に垂れている)。

「色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえもいはぬ匂ひを散らしたり」(『源氏物語』)。

「…と深く恨みたるけしきにて涙をたれて泣く」(『宇治拾遺物語』)。

「譬(たと)ひ前世の悪業拙(つたな)しと云ふとも、仏、慈悲を垂れ給へ。」(『今昔物語』:「悪業拙(つたな)しと云ふとも」は、私の悪業がそれにより私を評価に値しない者としたとしても、ということ。この「慈悲を垂れ」のような表現は、中国語による「垂憐(スイレン:憐(あは)れみを施す)」を、憐れみをたれ、と訓み、「垂念(スイネン:思いを施す:配慮する)」を、思いをたれ、と訓み、「垂跡(スイジャク:(仏が)痕跡を現す:仮の姿で現れる)」を、跡をたれ、と訓むような習慣により定着した)。

「水がたれ」、「洟(はな)がたれ」、「血がたれ」。「大便をたれ」、「小便をたれ」。

「あまたれ・あまったれ(甘ったれ)」は「あまあとたれ(甘跡垂れ)」。「あとたれ(跡垂れ)」は上記、仏が跡をたれ、のような用い方のそれ。仏陀が垂迹するように甘い心地よさが現れる印象で接し応じ、とりわけ、それによりなにかを要求すること。それが「あまったれ(甘ったれ)」。

「なまたれ」は「なまあとたれ(生跡垂れ)」。「あとたれ(跡垂れ)」は上記「あまたれ」に同じ。「なま(生)」は本気で取り組まれていない、未成熟、未完成、いいかげんな、ということですが→「なま(生)」の項。そうした「なま」が現れる印象で接し応じる、とは、男が成熟していないこと、男が女を感じさせること、を言う。これは関西方面で多く言われた。

 

◎「たらし(垂らし)」(動詞)

「たれ(垂れ)」の他動表現。垂れる状態にすること。

「血をたらし」。「洟(はな)をたらし」。