◎「たらひ(足らひ)」(動詞)
「たりはひ(足り這ひ)」。足りている、十分な、情況になること・なっていること。
「老嫗(おみな)置目(おきめ:人名)に詔(みことのり)して、宮(みや)の傍(ほとり)の近(ちか)き處(ところ)に居(はべ)らしむ。優崇(あが)め賜䘏(めぐ)みたまひて、乏少(たらはぬこと)無(な)からしむ」(『日本書紀』)。
「いと宿徳に(徳がそなはり)、おももち(面もち)、あゆまひ(歩まひ)、大臣といはむにたらひたまへり」(『源氏物語』)。
◎「たらふく(鱈腹)」
「たるはフクウン(足るは福運)」。「フクウン(福運)」は、幸福、のような意(→「コレ乃(スナハチ)皇天ノ庇護ヲ受ケ福運(シアワセ)ヲ招(マネ)クノ道ナリ」(『西国立志編』(中村正直訳):原題『Self-Help』))。すなわち、「たるはフクウン(足るは福運)→たらふく」は、足りること、満ち足り充足することが幸福(しあわせ)、ということ。「たらふくに」といった言い方もするが、たとえば「たらふく食う」といった言い方をしている場合も、原形的には、「たるはふくうんに」の「に」が退行化した表現になっているでしょう。呑んだり食ったりすることにかんし言われることが主要と言っていいほど多いですが、それ以外のことにかんし言うこともある。「鱈腹」は当て字。
「御座敷へ被召出、御盃共被下候て………後見鱈腹ニ候て口惜敷候」(『大日本古文書 家わけ九ノ一 吉川家文書之一 藤家吉川正統叙目第四 三四七 藤春房高隆書状』:酒を飲み、ものも食って、鱈腹(たらふく)ということ)。
「是モ何トナウ景ヲ云タ様ナ句ナレトモ、懐王ノ故事ヲタラフク用ル也」(『三体詩絶句抄』)。