◎「たらちねの(枕詞)」

「はは(母)」にかかる枕詞。「ちはらつひねの(千葉ら終根の)」。「ち(千)」は数字の千(セン)ですが、象徴的に長い年月経過を表現し、「は(葉)」は時間・歳月を表現し(→「はは(母)」の項)、「ちは(千葉)」は象徴的に永遠を表現する。「ら」は複数。「ちは(千葉):永遠」が無数に(人間の数だけ)ある。「つひね(終根)」はその究極の根(元・根本・根源)。この言葉が「はは(母)」にかかる。永遠の根源、のような意ですが、「はは(母)」とはそういう意味の言葉だということです。これは単に「たらちね」とも言い、「たらちし(の)」という言葉もある。語尾の「し」は文法的に「副助詞」といわれるそれ→「し(助)」の項(2022年8月27日)。この「し」はそれが運命必然的なものであることを表現する。たんに「たらちね」と言っただけで母を意味したりもし、のちには、「たらちね」が父を含め親一般を意味し、さらには、母を「たらちめ」と言い父を「たらちね」と言ったりすることも現れる。『万葉集』での漢字表記は「多良知禰乃、垂乳根乃」その他。

「大君(おほきみ)の 命(みこと)かしこみ 妻別れ 悲しくはあれど 大夫(ますらを)の 情(こころ)振りおこし とり装(よそ)ひ 門出(かどで)をすれば たらちねの(多良知禰乃) 母かきなで…」(万4398:これは、防人(さきもり)の情(こころ)になりて、とされる大伴家持の歌)。

「つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ そこ思(も)ふに 心し痛し たらちねの(垂乳根乃) 母が形見(かたみ)と 吾が持てる まそみ鏡に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 負ひ並(な)め持ちて 馬替(か)へ吾が背」(万3314:「負ひ並(な)め持ち」は、背負い並べ持つ、と言われますが、「負ひ並(な)め」は、負担し相手の物と価値として並ぶもの、ということで、交換の対価でしょう。貨幣交換であるなら、代金)。

「Tarachine.  P.i, Voya(おや:親).  Pay(父),& mãy(母)」(『日葡辞書』)。

 

◎「たらひ(盥)」

「たれゐはひ(垂れ井這ひ)」。「たるはひ」のような音を経つつ「たらひ」になった。「たれ(垂れ)」は「跡(あと)を垂(た)れ」などの用い方のそれ(→「たれ(垂れ)」の項)。意味は、仮に出現する、のような意。「たれゐはひ(垂れ井這ひ)→たらひ」は、仮に出現する井戸のようなもの、の意。具体的には、大きめの、深さのある平板状の容器であり、古くはこれに持ち手たる柄がつき、これに水(や湯)を入れ、持ち手を持ち人がこれを運んだ。たとえば、住居内で(それも公家の広い寝殿造の家などで)何かの小物を洗う必要が生じ、水が必要になった場合、その容器に水を入れ、住居内のそこへそれを運ぶ。つまり、そこに仮に井戸が出現したようになるわけです。それが本来の「たらひ」ですが、後世になると、持ち手の柄はなくなり、底は平(たいら)、直径は1メートル程度やそれ以上、深さは20センチ程度からそれ以上(古い資料では「径一尺五寸。深五寸」と書かれる)の大きな筒状の桶(おけ)のようなものになっていく。

この語の語源は一般に「てあらひ(手洗ひ)」と言われ、『倭名類聚鈔』にも「盥 ……澡手也……多良比 俗用手洗二字」と書かれていますが、それは、早期に名の由来は忘れられ、「たらひ」の音から誰もがそう思い、用途として手を洗うことが多かったからということでしょう(用途は、その他、顔を洗う、口を漱ぐ、筆を洗う等、さまざまです)。

「大空の星の光をたらひの水に寫(うつ)したる心地して…」(『源氏物語』)。