◎「たもとほり」(動詞)

「たもとほり(た廻り)」。語頭の「た」は「たとほし(た遠し)」などのそれ→「た」の項(9月5日)。「もとほり(廻り)」もその項。呆れるように「もとほる(廻る)」状態になること。同じところを延々と廻(めぐ)っているような(あるいはそのような印象の)動態になること。

「若子(みどりご)の匍(は)ひたもとほり(多毛登保里)朝夕(あさよひ)に哭(ね)のみぞ我が泣く君なしにして」(万458:これは挽歌。大伴旅人が亡くなった際の歌。どうしたらよいかわからず、途方にくれ、おなじところを彷徨(さまよ)うような状態になっているということ)。

「…思へども たづきを知らに たわや女と 言はくもしるく たわらはの 哭(み)のみ泣きつつ たもとほり(俳徊) 君が使を 待ちやかねてむ」(万619:男の訪れが遠ざかった恋への不安のなかでどうしたらよいかわからない状態になっている)。

「春霞(はるがすみ)井(ゐ)の上(へ)ゆ直(ただ)に道はあれど君にあはむとたもとほり(他廻)来(く)も」(万1256:あなたにどう思われているか不安だ、ということか)。

「見わたせば近き里廻(み)をたもとほり(田本欲)今ぞ我が来る禮巾(ひれ)振りし野に」(万1243:帰ってきた路は同じところを何度もめぐっているような思いがした。それほどあなたに会いたかった、ということでしょう)。

「たもとほり(徘徊)往箕(ゆきみ)の里に妹を置きて心空(こころそら)なり土(つち)は踏めども」(万2541:「行箕(ゆきみ)」は未詳ですが、たぶん地名。ただし、「たもとほり 往(ゆ)き箕(み)の里」の可能性もないわけではないが、「箕(み)の里」が地名であったとしても、やはり未詳)。

 

◎「たやし(絶やし)」(動詞)

「たえ(絶え)」の他動表現。絶えた・絶える、状態にすること。

「夢覚(サメ)テ哀(アワ)レニ忝(カタシケナ)ク覚へケレハ山ニ帰登(カヘリノホ)リテ、其後、此ノ望(ノソミ)不通ニ思ヒヲ絶(タヤ)シテ、タタヒトヘニ後世ノ勤(ツトメ)ヲソ…」(『私聚百因』)。

「根絶やし」。「カダヤシ(蚊絶やし)」(メダカに酷似した小さな魚。環境でこの魚を見、メダカだと思っている人はあたりまえにいる)。