◎「ため(矯め)」(動詞)

「てはめ(手嵌め)」。「て(手)」は、あり方、を意味する。その意味の基本は物のあり方・形(かたち)・型(→「て(手)」の項)。「てはめ(手嵌め)→ため」は、なにかをなんらかのあり方の形に嵌(は)めること。その形にすること。嵌(は)めるにはその何かに或るあり方の外力を加える。たとえば木や竹の場合、水で濡らしたり火であぶったりしながら力を加える。そうすることで理想的な、そうありたい、形、あり方、に修正したりするわけですが、都合のいいように文意を解釈してしまうようなことも言う。弓を射る際などに、目標に正確にあたるように、その構えや姿勢などを慎重に修正することも言う→「ためつすがめつ」(「すがめ」は狙いをさだめ片目で見ること)。漢字では「矯」や「揉」などと書く。

「麻のなかの蓬(よもぎ)はためざるにおのづから直し、といふたとへあり」(『十訓抄』)。

「檠 ……和名由美太米 所以正弓弩也……楺…以火屈申木也…字亦作煣訓 太無」(『和名類聚鈔』)。

「僧道鏡………號曰法王…大宰主神習宜 阿蘇麻呂 媚事道鏡(道鏡に媚(こ)び事(つか)え) 矯八幡神教言(八幡神教を矯(た)め言(もう)し)…」(『日本後紀』延暦十八年二月乙未(二十一日):阿蘇麻呂が神のお告げを道鏡に都合のいいように言ったわけです)。

「捄手折 多武(たむ)の山霧(やまぎり) しげみかも 細川(ほそかは)の 瀬(せ)に波(なみ)の騒(さや)げる…」(万1704:「多武(たむ)の山」は現・奈良県桜井市の山。語頭の「捄手折」は「多武(たむ)→矯(た)む」にかかっているのでしょう。しかし「捄」の読み方には諸説ある。たいていは「うち(打ち)」か「ふさ(総)」と読む。前説は「捄」は「打」の誤字ということでしょうし後説は「捄」に、集める、の意味があるから。この「捄」の字は「救」に通じ、「捄手折」の読みは「すけてをり」でしょう。これが「助(す)けて折(を)り:救ってやり折り→矯(た)め」と「助(す)け手(助けてくれる人・援助者)居(を)り:支援者がいる」にかかる。「多武(たむ)の山」は「多武峰(たふのみね)」と何か関係があるのかも知れない。ここは大化改新の際、藤原鎌足と天智天皇が蘇我氏討伐をはかったところと言われている。この万1704の歌は何者かが舎人皇子(天武天皇の子)に奉った歌とされ、「…実になるときを片待つ吾ぞ」(万1705)という歌も添えられている。これに対する答えのような舎人皇子の歌は、夜霧がたっている、衣手を高屋の上にたなびくまでに、というもの(万1706)。まるで何事かの連絡をとりあっているような歌です。舎人皇子が関係した変事といえば「長屋王」の事件(729年)ですが…)。

 

◎「だめ(駄目)」

「だめ(駄目)」。「だ(駄)」にかんしては「だ(駄)」の項。空(むな)しく、はかなく、なんの成果もないことを意味する。「め(目)」は視覚注意に起因する特異点を意味し、この場合は囲碁に由来し碁石を打ち得る点を言い、「だめ(駄目)」は競技者どちらの成果にもならない(何の成果もない)点を言う。そこから、これが何の成果も実りも無いことを意味する。つまり、この語は囲碁に由来する語。「だめだよそんなもん」。また、それは、やってはいけないこと、避けなければいけないこと、の意にもなる。「それは言っちゃだめ」。

 

◎「ためぐち」「たいまん」

「タイメンぐち(対面口)」。「イ」の脱落。「くち(口)」は、口のきき方、(態度も含めた)言語活動、をそう表現している。この場合の「タイメン(対面)」は、喧嘩闘争を意味する俗語「たいまん」において双方が対面すること、「タイメンぐち(対面口)」はその喧嘩闘争で間近に向き合っている際のような口のきき方をすること。「たいまん」は「タイメンあん(対面『あん』)」でしょう。間近に向き合い接近し、正面から目をにらみ、挑発的に「やんのかおい。かかってこいや。あーん」と言っているかのように、無言で「あーん」と言っているかのように、顎を張る。相手は引き下がることもできる。これに応じ相手も、「やんのか、この野郎」と言うように、「あーん」と張れば、一対一の喧嘩闘争が始まる。「たいまん」がはじまる。