◎「ため(溜め)」(動詞)
「たみゆえ(発生みゆ得)」。「たみ(発生み)」の「た」は発生を表現し「たみ(発生み)」は発生の意思動態的表現→「たみ(発生み)」の項(◎1月24日)。「ゆ」は経過を表現する助詞(その項)。「たみゆえ(発生み得)→ため」は、発生を経過し得(え)、ということですが、どういうことかというと、たとえば自然現象として水が湧いていたとする。その水を流れ去るままにせず、水路を作り、導き、穴を掘り、そこに滞留する状態にし、水が必要となった場合そこから水を取り用いる。つまり、水を得る。そうしたことをすることが「たみゆえ(発生みゆ得)→ため」。これはたんなるたとえ話ではなく、たぶん、「ため」という語は水のそうした利用から生まれているものでしょう。そして、物的に、そして社会的に、発生するさまざまなものやことを、去るままにせず、自己に滞留させ得ることを「ため」というようになっていく。金(かね)もためる。肥溜(こえだ)めも作る。これは他動表現になりますが、自動表現は「たまり(溜り)」。
「…明日香(あすか)の川の 水脈(みを)速(はや)み 生(お)ひためかたき…」(万3227)。
「あさことに(朝ごとに)おくつゆそてに(置く露袖に)うけためて(受け溜めて)世のうき時の涙にそかる(借る)」(『御撰和歌集』)。
「『…野暮と云はれて、金をためた方が利方だの』」(『浮世床』)。
◎「たまり(溜り)」(動詞)
「ため(溜め)」の自動表現。「ため(溜め)」(その項)の状態になること。その否定「たまらぬ」は、溜(た)まることがない、という意味にもなりますが、発生が得られない、受容しきれず自己管理し得ない、という意味にもなる→「そういうことをされたのではたまらない」。
「水溜まる(みづたまる:美豆多麻流)依網(よさみ)の池の…」(『古事記』歌謡45)。
「『…ありがたいこの御江戸に居て、金の溜(たま)らぬ事があるものか。…』」(「滑稽本」『浮世風呂』)。
「彼等が射ける矢には、(敵の)楯も物具もたまらざりければ、向ふ方の敵を射すかさずと云事なし」(『太平記』:「射すかす」は、射て敵の数をへらすこと)。
「滝口、たまらぬ男にて、『首を取るか、取らるるか、力は、外にもあらばこそ。いざや、老いの御肴(さかな)に、力比べの腕相撲うでずまふ一番』と言ふままに、座敷を立ち…」(『曽我物語』:この「たまらぬ男」は、忍耐できない男。溢れでる思いを溜めてコントロールすることがなく、溢れ吹き出してしまう男、ということ。「たまらぬ良い人」「たまらぬ悪い人」といった言いかたもある。思いが溢れてしまうほど良い人、悪い人、ということ。良い人の場合は、後世でも、「たまんなくいい人」などという言いかたはありそうです)。
「うれしくてたまらない」、「いやでたまらない」。