◎「だみ(彩み)」(動詞)

「デンあみ(鈿編み)」。「鈿」は呉音「デン」、漢音「テン」であり、音(オン)は「たみ」になる可能性もある。意味は埋め込むことであり、何かの表面に金属や貝を埋め込み飾りにするさいに用いられる語。「デンあみ(鈿編み)→だみ」は、「鈿(デン)」を編成する、ということです。貝殻の薄片を表面に埋め込んだ装飾たる「ラデン(螺鈿)」がありますが、金箔、銀箔、金粉、銀粉、さらには塗料、染料といった材料で色彩豊かに製作することも言う。

「なつならはだみてぬいたらんかたひら(夏ならばだみて縫いたらん帷子)…」(『申楽談儀』)。

「Dami(ダミ),u, ŏda.  Por cores,ou dourar(色彩化のための金メッキ). ¶ Qinguinuo motte monouo dam(キンギンヲ モッテ モノヲ ダム). Dourar .& pratear(金、銀). ¶ Yenogude damu(エノグデ ダム). Pintar de cores(色づける).」(『日葡辞書』)。

 

◎「だみ(訛み)」(動詞)

「ではあみ(~では、編み)」。「は」は消音化した。「ではあみ(~では、編み)→だみ」は、「~では」と編集する(全体を理解し得るよう編成する)ということなのですが、どういうことかというと、Aがなにごとかを言う。それを聞いたBが「今言った(聞いた)ことはこういうことなのではないか」と編集しなおすということです。詞(ことば)がだみている、舌がだみている、声がだみている、とは、それらにより編集努力が起こっている、ということであり、言葉がわかりにくいのです。言っていることが、なにを言っているのかそれを理解する特別な努力を必要とする。まったく分からないわけではない。わかりにくいのです。これは方言によってもそうなり、しゃべりかたの個性によっても、声質によってもそうなる。何を言っているのかわかりにくくなる声は「だみ声」。ちなみに、『万葉集』の歌(4011)にある「近くあらば今二日だみ」の「だみ(太未)」は「あだみ(徒廻)」(無駄に時がめぐる)でしょう。

「あつま(東)にてやしなはれたる人のこ(子)はしたたみて(舌たみて)こそ物はいひけれ」(『拾遺和歌集』(1005年))。

「迂 タミタリ 訛」(『色葉字類抄』(1100年代後半):これは「たみ(廻み・訛み)」(その項・1月16日)かもしれない)。

「鴬(うぐひす)はゐなかの谷の巣なれともたみたる音をは鳴かぬなりけり」(『西行歌集』(1200年代後半):これは「だみ(訛み)」かもしれない)。

「たみたるこゑとはなまりたるこゑ也」(『至宝抄』1607年書写:これは「だみ(訛み)」でしょう)。

「日本とても奥山家(おくやまが)辺土は詞(ことば)だみたるに、都を知らぬ島夷(しまゑびす)…」(「浄瑠璃」『国姓爺後日合戦』)。

「いと訛(だみ)たる聲音(こわね)にて、唱歌を機(はた)の手にあはし、歌ふもさすがに興あれば…」(『椿節弓張月』)。

「三人連れても淋しきに、雲さへ濁(だ)みて更くる夜の…」(「浄瑠璃」『持統天皇歌軍法』)。