その語が独立して現れてはいませんが、発生感を表現する「た」による「たみ(発生み)」という動詞があると思われます。ここでは「発生み」と書く。「た」は発生を表現し(→「た」の項・2023年9月5日参照)、「たみ(発生み)」は発生意思努力を表現する。「たち(立ち)」の「た」も同じ「た」であり発生を表現し、事象の発生は必然的に(人間生態の自然性により)経過をともないそれは「時がたち」「月日がたち」などの「経(た)ち」にもなる。「たみ(発生み)」はその「たち(立ち・経ち)」の活用語尾M音と思っていい。「たち」はその活用語尾T音による(完了の助動詞「つ」に現れるような)意思確認的そして客観的な認了であり、「たみ(発生み)」はその活用語尾M音による(意思・推量の助動詞「む」に現れるような)主体的意思努力による容認というようなこと。つまり、「た」が「~つ」と客観的に完了が表現されるか、「~む」と主観的に容認されるかの違いということ。「たみ(発生み)」にかんしては「たまひ(給ひ・賜ひ)」の項(1月10日)参照。その他「たみ(民)」「たび(度)」「たび(旅)」「ため(為)」「たむけ(手向け)」その他。