「たまへ(給へ・賜へ)」の自動表現。「たまへ」は「たまひ」の自動表現なのですが、その事実上の意味は、何かをされるという、受け身になる(→「たまへ(給へ・賜へ)」の項)。受身や使役は他動態であり、その他動態に対する自動表現として「たまはり(給はり・賜はり)」がある。意味は、立つ・発生する・現(あらは)れる情況になることですが、「たまへ(給へ・賜へ)」のようにここでも、たとえば「酒たまはり」と言った場合、酒が自然発生的に現れる情況になることはあり得ない。それは何者かがそうさせた。それは、何者かによって酒が立つ・発生する・現(あらは)れる情況になった。すなわち、何者かから酒を受けた、何者かから酒をもらった、を意味する→「酒をたまはり」。そしてそれは、酒が現された、という動態の婉曲的・間接的表現であり、それによりそれを現(あらは)した何者かへの敬い・遠慮・敬意が表現される。しかし、言語的には「たまはり」はただ「たまふ」情況、立つ・発生する・現(あらは)れる情況にあることが表現されているだけであり、それが、与へ、なのか、貰(もら)ひ、なのかは限定していない。後世には、与へ、の意味の「たまはり」も現れる。「城をたまはり」は城を貰ったということですが、「佐々木に城をたまはり」が、佐々木から城を貰ったわけではなく、佐々木に城を与へた、を意味する。「聞きてたまはれ→聞いてたもれ」(動態の後に「て」が入る)もその「たまはれ」の意味は、与へ、であり、聞きを与えよ。これは「たもれ」を「頂戴(チョウダイ)」に変えれば「聞いて頂戴」であり、それはもはや、「聞け」よりは丁寧な言い方といった程度のものであり、敬意の現れや尊敬表現と言い得るものではない。見たり聞いたりする事象や言葉の発生は「受けたまはり」になる。