「たち(立ち)」の「た」のような、発生の動態表現性のある「た」による「たむ」(「た」にアクセントがある)という動詞があったと思われる(漢字で書けば「立む・立み」でしょうか。ここでは「発生み」と書く)。意味は「たち(立ち)」に似ているわけですが、それよりも意思動態的な表現になる。自動表現です。その他動表現が「ため(立め・発生め)」。それによる「ためはひ(立め這ひ・発生め這ひ)」が「たまひ(給ひ・賜ひ)」。すなわち「たまひ(給ひ・賜ひ)」は他動表現です。意味は、立てる、に似ている。発生させる、現す、ということです。「(AがBに)酒をたまふ(給ふ)」は、(AがBに)酒を立てる、発生させる、現す、ということであり、これはAがBに酒を与えたり飲ませたりしたことを意味する。「御言(みこと)たまひ」も、御言立て、御言現し、であり、言葉を与えることを意味する。その場合、たとえば「酒をたまひ」は、単に「酒(さけ)を貰(もら)った」という表現ではなく、それは何者かがそれを現したこと、それを現す何者かがそこにはおり、その何者かはそれを現すだけの力、影響力があること、が表現されている。「たまひ(給ひ・賜ひ)」にはそうした表現力がある。すなわち、何者かへの思い(欲しかった酒を現してくれたありがたさ、感謝)、それをなしうる力・影響力への思い(畏敬)も表現されている。「雨たまひ」も雨を現しうるだけの、雨をもたらしうるだけの、力・影響力のある何者かへの思いがそこにはある。そして望むままに雨をもたらしうるほどの力は人にはない。
動態に「たまひ」の命令「たまへ」を添え「見たまへ」「聞きたまへ」などと言った場合は「み(見)」や「きき(聞き)」を発生させよ、と言っているわけであり、「見よ」「聞け」等を直接言うよりも間接的な、願いのこもった命令のような、丁寧な物言いに、何かを促す物言いに、なる。その語頭に「いざ」がつくと誘いになり、その場合は動態表現は省略され「いざたまへ」(さぁ、そうしましょう、のような言い方で何かを誘う)と言ったりする。具体的に何を「たまふ」(発生させる)のかは話の前後関係から当然推測される。「あなかま。たまへ」は「ああ、やかましい。静かにしてください」。
動態と「たまひ(給ひ)」が複合した場合は、そういう動態を発生させた・現した、という表現になり、直接に、それをした、と表現するよりもその表現は間接的・婉曲的なものとなり、それはその動態の主体への敬いや遠慮の表現になる。つまり、尊敬表現になる。「始めたまひ」「いざなひたまひ」「位に就きたまひ」(はじめた、いざなった、ついた、という表現ではなく、「始め」や「いざなひ」や「つき」という動態を発生させた、現(あらは)した、という間接的表現になる)。さらに「たまひ」の前に(つまり、動詞と「たまひ」の間に)「せ」や「させ」のついた「せたまひ」や「させたまひ」という尊敬表現もある。