「たまあていさ(玉当ていさ)」。「たま(玉)」は、宝玉ですが、美称として添えられている。「あて(当て)」は期待。「いさ」は「さぁ…」と曖昧に何かをごまかすような表現→「いさ(不知)」の項(2019年11月24日)。「たまあていさ(玉当ていさ)」は、あてになるかどうか、実効的効果があるかどうか、よく分からないが、美しいもの。要するに、返事が来るかどうか、来たとしても良い返事かどうか、よく分からないが印象が美しいもの。美しい、期待するもの、のような意。つまり恋文。これが後世で言う手紙を意味し、後世ではその雅語となり、文字や紙などもない時代には使者によって口頭で伝えられる伝言も意味したでしょう。

この語は「たまあづさ(玉梓)」の「あ」が退化した語と言われ、それが常識の状態なっている。この語は後世で言う、手紙、を意味するのですが、それを運ぶ使者が(手紙をつけた?)杖を持ち、その杖が梓(あずさ)だったからだという。「あずさ(梓)」は樹種であり、それで弓を作ることで知られる。また、「上梓(ジョウシ)」(出版する)という言葉があるように、版木にもする(というよりも、中国で「梓(シ)」を版木にした)。日本での、弓にするところの、「梓(あずさ)」が後世のどの樹種なのかにかんしては諸説ありましたが、遺物の研究などからミズメ(ヨグソミネバリ)とすることが定説になっている。その意味の梓(あずさ)ですが、古くから弓としては良く知られる。しかし、とくにこれを杖にしたということは聞かない。杖はとくに樹種を選んではいなかったのではないでしょうか。

上記のように、この語は、文(ふみ)、手紙、書簡を意味し、それは本人が相手へ届けるわけではなく、それを届ける使者があり、この使者は「たまづさの人(ひと)、たまづさの使(つかひ)」などとも言われた(古代において名詞たる「つかひ」の中心的な意味は伝言を伝える使者です)。

「…吾が大君は こもりくの 初瀬の山に 神さびに 斎(いつ)きいますと たまづさの 人ぞ言ひつる…」(万420:これは挽歌であり、亡くなったという報を伝えに来た人がいた)。

「いつしかと待つらむ妹に玉梓の言だに告げず去にし君かも」(万445:これも挽歌)。

「…沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉(もみぢば)の 過ぎて去にきと 玉梓の 使の言へば…」(万207:これも挽歌。死の神聖感が玉梓(たまづさ)という語をもちいさせているということ)。

「玉梓(たまづさ)の妹(いも)は玉(たま)かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる」(万1415:これも挽歌ですが、この「たまづさ」は亡くなったことを知らせるものではない。「玉梓の妹は玉」とは、妹(いも)はいつも美しい幸福な報(しら)せだけを持ってきてくれる人、不吉ないやな思いなどさせたりしない人、だった、ということ。これは亡くなった妻への挽歌)。

「人言(ひとごと)を繁(しげ)みと君に玉梓の使も遣らず忘ると思ふな」(万2586:これは恋愛関係にある人どうしのやりとり。『万葉集』にある「たまづさ」は挽歌か恋愛関係にある者どうしのやりとりにある語であり、挽歌の方が少し多い(万3973もそれは奈良路を来通う恋文のようなものを言っているのでしょう)。