◎「たまぢはひ」(動詞)

「たまぢいはひ(魂路祝ひ)」。「いはひ(祝ひ)」は神聖感のある、人智の及ばない経験経過情況が動態感をもって作用すること→「いはひ(齋ひ・祝ひ)」の項(2020年2月22日。「たまぢいはひ(魂路祝ひ)→たまぢはひ」は、魂(たましひ)の路(みち(行く末))となりこれを左右すること。「たまぢはふ神」といった言い方をする。一応、動詞としましたが、それは理念的に動詞としての使用も可能だということであり、事実上、この語は連体形しか資料にはなく、「神」の枕詞とする説もある。未然形、たとえば「たまぢははぬ」にしても、連用形「たまぢはひて」にしても、事実上、そうした表現は必要にならないということです。

「たまぢはふ(霊治波布)神も吾をば打棄(うつ)てこそ(打棄乞)しゑや命の惜しけくもなし」(万2661:「うつてこそ」は、うちうてこそ(打ち棄てこそ)。語尾の「こそ」は希求を表現するそれ(「こそ(希求)」の項・2022年3月6日)。打ち棄ててくれ、ということ)。

 

◎「たまはやす(枕詞)」

「たまひあやす(給ひあやす)」。「たまひ(給ひ)」は、子を給(たま)ひ、です。子をもたらす、ということ。動詞「あやし」は赤ん坊をなごませること。「たまひあやす(給ひあやす)→たまはやす」は、子をもたらし子をあやす、ということであり、これが「むこ(婿)」を意味し、地名の「むこ(武庫)」にかかる。この語の用例は万3895にある一例だけであり、一般的な語であったかどうかは不明。

「たまはやす(多麻波夜須)武庫(むこ)の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ」(万3895:「武庫(むこ)」は地名であり、現・兵庫県。大阪市と神戸市の間あたりの沿岸部)。