◎「たまたま(偶)」
「たまあとあむや(玉跡編むや)」。「たまあと(玉跡)」は、玉(たま:球体)が進行した(転がった)その進行痕跡、その行方、行く先。「あみ(編み)」は全体を構成すること。玉はどこへ転がっていってしまうかわからない、ということであり、その予想もできないことを何者かがなり行き全体を構成したのではないかと思われるようになにごとかがあることが「たまあとあむや(玉跡編むや)→たまたま」。ただし、「たま(偶)」が二度繰り返され強調された「たまたま」もあると思われる。非常に希(まれ)であることを意味する。
「院(桐壺)かくれ給ひて後は………おぼえぬ罪に当たりはべりて、知らぬ世に惑ひはべりしを、たまたま、朝廷に数まへられたてまつりては、またとり乱り暇(いとま)なくなどして…」(『源氏物語』)。
「属(タマタマ)有道に逢ふ。時惟(ときこれ)我が皇なり」(『三蔵法師伝』承徳三(1099)年点:「有道」は、正道、と同じような意。それにかなっていることや、それを備えた人)。
「清𨢩酒恒満 緑酒會(タマタマ)坏に盈(み)つ」(『文鏡秘府論』保延四(1137)年点:「𨢩」は酒器、「緑酒」は酒の美称)。
「旅先でたまたま友人に会い」。
「偶 …タマサカ タマタマ」「希 ……マレナリ…タマタマ」(『類聚名義抄』)。
・以下の例の「たまたま」は「たま(偶)」の繰り返しであり、非常に希であることを意味するものでしょう。
「昔の殿上人は常に(内裏に)参りつつ、をかしき遊びなど琴・琵琶も常に弾きけるを、今はさやうの事する人も無ければ、参る人もなし。たまたま参れど、さやうの事する人もなきを、口惜しく思し召されけるに…」(『古本説話集』)。
「ねむじ(念じ)わびつゝ、さまざまの財物(タカラモノ)かたはしより捨つるがごとくすれども、更(さら)に目みたつる(見立つる)人もなし。たまたまかふるもの(者:物々交換をする者。商売をする者)は、金(コガネ)をかろくし、粟をおもくす。乞食(コツジキ)路(みち)のほとりにおほく、うれへかなしむこゑ耳にみてり。まへのとしかくの如くからうじてくれぬ」(『方丈記』)。