「たましひ(発生ましひ)」。動詞「たみ(発生み)」に関してはその項(発生を表現する)。「たまし(発生まし)」はその動詞「たみ(発生み)」に尊敬の助動詞「し」のついたその連用形。すなわち「たまし」は「たみ(発生み)」の尊敬表現。語尾の「ひ」は感応的動感を表現する。H音の感覚性とI音の進行感によるこの「ひ」は「ひひき(響き)」にもある。「まがつひ(禍つ霊)」にもある。要するに、影響を表現する。それも、ただ浸透していく、深奥へ消え去ってしまうような影響です。すなわち、「たましひ(発生ましひ)→たましひ」は、発生している「ひ」。すなわち「たましひ(魂)」は、発生感のある影響の尊敬表現。その場合、影響は客観的に認識され、「たましひ」は客観的影響になる。その影響主体も想像され、それは一般的には、「たま(玉)」のように球体であり、生命力を表現するように光り、浮遊し、動くと進行方向の逆方向へ光の尾のようなものが流れる。それは客観的影響ですが、その主体的影響を感じさせるのは生命体であり、一般的にそこに「たましひ(魂)」は感じられ、最も印象深く感じられるのは人(ひと)です。その結果、「たましひ(魂)」は生命体たる人(ひと)の客観世界との影響のあり方、その特性の根源的・基本的あり方(顕(あらは)れ)、のような意味にもなる(あらゆる人(ひと)においてあらゆる人(ひと)は客観世界にいる)。

「魂(たましひ)は(多麻之比波)朝夕(あしたゆふべ)にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに」(万3767:「たまふれ」は「たまへ(給へ)」の已然形であり、「たまへ」は「たまひ(給へ)」の自動表現。つまり、「たまふれど」は、発生するが、顕(あらは)れるが、のような意。これはこれ以前に幾度もこの歌を届けた相手から歌が届いていることが前提になっている歌)。

『和名類聚鈔』では「識(サトル、シル、タマシヒ)、神(カミ、オニ、タマシヒ)、精(クハシ、ワキマフ、タマシヒ)、精霊(タマシヒ)、魄(タマシヒ、キハマル)、性(ココロ、タマシヒ、人トナリ、ココロザシ)、霊(ミタマ、ミカゲ、スタマ、タマシヒ)、魔(オニ、タマシヒ)、魂魄(タマシヒ)」といった字が「たましひ」と読まれている。

「其(か)の東(ひむがし)の夷(ひな)は、識性(たましひ)暴(あら)び强(こは)し」(『日本書紀』)。

「筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを…」(『源氏物語』:筆で文字を書くことと碁を打つことには魂(たましひ)のそれに関する質の違い、レベルの違いのようなことが現れるという)。