「とはもは」。すべて助詞。「と」はなにかを思念化し、「は」は提示し、「も」は意思動態的になにかが思われる。「とはもは」とは、「~とは」も「~は」、の意。Aとは、も、Aは、になる、ということ。つまり、Aにかんする思念したなにごとかもAの思いそのもの、ということ。つまり、Aそのもの、個別的具体的Aではなく、時空を超えた一般的A。
「ことだま(言霊)」、「みたま(御魂)」、「にきたま(和魂)」、「あらたま(荒魂)」、「たまふり(魂生り)」、その他。
この「たま」は「たま(玉、珠)」と同音であり、「たましひ(魂)」の語頭とも同音であり、なにかの「たま」は「たましひ(魂)」を思わせ、形体印象的にも「たま(玉、珠)」が思われ、「たま」と言いながら、そこで言われているのは「たましひ(魂)」だろう、と思われる表現も現れる。つまり、「たま」が「たましひ(魂)」の略語になり、形体印象として「たま(玉、珠)」が考えられたりする。
「一書(あるふみ)に曰(いは)く………又(また)飢(やは)しかりし時(とき)に生(う)める兒(こ)を倉稻魂命(―のみこと)と號(まを)す 一書(あるふみ)に曰(いは)く………倉稻魂、此(これ)をば宇介能美拕磨(うかのみたま)と云(い)ふ」(『日本書紀』:「飢(やは)し」は、弥(いや)淡(あは)し。これは神が子を生むように神が生まれる過程が表現されており、人間のように、飢(う)ゑ、ではなく、存在というか、力というか、が淡(あは)くなる)。
「…天地(あめつち)の 神(かみ)相顕現(あひうづな)ひ すめろきの 御霊(みたま)助けて 遠き代に かかりしことを 朕(わ)が御代に 顕はしてあれば…」(万4094:「相顕現(あひうづな)ひ」と書いた部分の原文は「安比宇豆奈比」)。
「吾(あ)が主(ぬし)のみたま(美多麻)賜(たま)ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げたまはね」(万882:ようするに、偉い人(大伴旅人)に、あなた様のご配慮で、春になったら勤務地を奈良の都にもどしてもらえないものだろうか、と頼んだ手紙のような歌)。
「霊(たま)合へば相(あひ)宿(ね)むものを小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)禁(も)るごと母(はは)し守(も)らすも」(万3000:この「霊(たま)合へば」は、何の問題もなく、真に愛し合っているんだから、のような意)。
「…天地に 思ひ足らはし たま(玉)合はば 君来ますやと 我が嘆く 八尺(やさか)の嘆き…」(万3276:この万3276は特異な歌であり、前半は明らかに男が、後半は女が、歌っている。思いあう男と女が、天地に思いを満たすようにその「たま(玉)」がめぐり、それがあえば二人はあう、という、そんな歌を作ったのであろうか。ちなみに、「たま」は原文で「玉」と書かれる)。
「心よりほかにながらへて(思いのほか長生きして)、思はずなることの紛(まぎ)れ(そういう意図もなくしたことに気づかずまぎれることが)、つゆにてもあらば(少しでもあったら)、うしろめたげにのみ思しおくめりし(常に心配し配慮してくださっていた)なき御魂(みたま)にさへ(お亡くなりになったあの方に)、疵(きず)やつけたてまつらむ」(『源氏物語』)。
「嘆きわび空に乱るるわが魂(たま)を結びとどめよしたがへのつま」(『源氏物語』:「したがへのつま」は「したがひのつま」とも言う(下記))。
・「したがへのつま」「したがひのつま」
この語は、「した(下)」が、肌に密着した、上着(うはぎ)に対する、下(した)に着るそれを意味し、「つま」が、夫婦関係にある相手(この語はそうとう後期まで男も女も意味する)を意味し、「した」を「かへる:交換する」ほどの、人生の伴侶、人生一体化といっていいような関係にある人を意味する「したがへのつま」という表現があったのではなかろうか。また、「うは(上)」は(身体の)表面、「した(下)」はその反対側、すなわち身体に近い方、を意味し、「かひ(交ひ)」は着物の身体前方の衣の交差的合わせを意味し、「つま(褄)」は着物の襟(えり)から裾(すそ)までの端部分やそれと裾端との交わる角(かど)部分を意味し、「したがひのつま」は下(した:身に近い方)に着る着物のその部分(いうなれば、足を開けば開く下着の前合わせ部分。それが、開いた、となる最終部分)を意味し、これを意識的に整え合わせることや結ぶことが自分を維持すること、とりわけ人生の伴侶たる「つま」を裏切ったりすることのないように自分を維持する、という意味があったのではなかろうか。