「たまへ(給へ)」の音変化。音変化にかんしては「たび(給び)」の項(12月20日)参照。「たまひ(給ひ)」は他動表現であり、「たまへ(給へ)」は客観的対象を主体とする自動表現。つまり「たべ(食べ)」は元来は自動表現。意味は、発生する、現(あらは)れる、のようなもの(→「たまひ(給ひ)」「たまへ(給へ)」の項)。たとえば、Aの酒がその意思にもとづきAの占有からBの占有に移動しBがこれを摂取した場合、Bがこれを「酒たまへ(給へ)→酒たべ」と言った場合、それは、Bは、Aから酒たまへ(酒たべ)、と言っているのであり、それは、Aから酒が発生し、Aから酒が現れ、と言っているのであり、それは、人が与えたのではなく、天からの賜わり物を受けたような表現になり、起こっている事態のありがたさ、それによる与えた相手への感謝や敬い、それによる自己謙譲が表現されることになる。つまり、粗雑さのない丁寧な表現になる。そて、一般的に、「たべ(食べ)」は「くひ(食ひ)」よりも飲み物・食べ物や相手への尊重感のある丁寧な表現になり、やがて、固体系の食物の摂取は「(なにかを)たべ(食べ)」と表現されることが一般になり、「くひ(食ひ)」は粗雑な表現とされるようになっていく。液体系の食べ物はもっとも一般的には「のみ(飲み)」 (古くは水も「たべ」ということがあり、「酒たべ」という表現は相当に多い。20世紀ともなれば、これは、水食(た)べ、ではなく、水給(たま)へ(水が自分の体に現れ)、で考えた方がわかりやすいでしょう。それほどに、「たべ」は固体系食物を咀嚼し呑みこみ、という印象が強い)。
「百官人(もものつかさびと)等(たち)、天(あめ)の下(した)四方(よも)の国(くに)の百姓(おほみたから)に至(いた)るまで長(なが)く平(たひ)らけく作(つく)り食(た)ぶる五(いつくさ)の穀(たなつもの)をも…」(「祝詞」『伊勢大神宮 六月月次祭』)。
「つくしのしらかはといふ所にすみ侍(はべ)りけるに、大弐藤原おきのりの朝臣のまかりわたるついて(ついで)に、水たへむ(たべむ)とてうちよりてこひ侍(はべ)りけれは」(『御撰和歌集』詞書:この「たべ」は、21世紀で言えば、いただく、のような意味になる)。
「酔『コレ番頭。おのしが呑むものはなんだ』
二階番『ハイ香煎(かうせん)でござります』
二階番『……私は茶が嫌ひだから、之(これ)を食べます。…』
酔『…一盃(いっぱい)すそわけをしてくりやれ』ト、一口呑む」
…………
「二階番『ハイ、是(これ)は食べかけで、穢(きたな)うござります』
酔『………是(これ)は何といふ物だ』
二階番『ハイ夫(それ)はお市といふ菓子でござります』」(「滑稽本」『浮世風呂』:「香煎(かうせん)」は、(植物としての)茶以外で製した(嗜好飲料としての)茶のようなもの。二階番は茶を、たべ、と言い、菓子にかんし、食べかけ、と言っている)。