「とあへ(程堪へ)」。「と(程)」はその項参照。程度(強さ)を意味する。「あへ(堪へ)」は自己を維持すること(2019年7月14日)。その維持努力。「とあへ(程堪へ)→たへ」は、程度を、程度に応じ、自己を維持する努力経過情況になること。どういうことかというと、主体は様々な外的影響作用を受ける。その影響作用は自覚が生じない微弱なことから自己を破壊するようなことまで、様々な種類・強さの影響作用がある。それに対し自己の完全さを維持する努力経過情況になることが「とあへ(程堪へ)→たへ」。「あへ(堪へ)」に意味は似ている→「あへなく(堪へ無く):自己維持無く、自己を維持できず」。また、「~」で動態が表現され、「~にたへ」という言いかたが、~しても自分を維持できる、~することができる、という意味になりもする→「聞くにたへない」。この「たへ」が起こる外的影響作用には、普通の、一般的な影響作用ではなく、特別な世界におけるそれであることもあり、その世界が一般から敬意を受けていたり、権威が感じられていたりする場合、その世界において外的影響作用に「たへた」者は、「たへた」というただそれだけで、すぐれている、まさっている、勝(か)っている、という印象にもなる。つまり、「たへたる人」が、すぐれた人、や、まさっている人、という意味になったりもする。
「(顯宗天皇は)詔(みことのり)畢(をは)りて、皇太子億計(おけのみこ)と泣(いさ)ち哭(な)き憤惋(いた)みて、自(みづか)ら勝(た)ふることあたはず」(『日本書紀』)。
「(父親は)我が身のほどの心もとなさを思すめりしに(自分の社会的な力のなさや運のなさを思っていらしたようでしたが)、 (その父親が)命さへ堪へたまはずなりにしのち(亡くなったのち)…」(『源氏物語』)。
「初めより、ただきらきらしう、「人の後見」と頼みきこえむに堪(た)へたまへる御おぼえを選び申して、(守殿を婿にと)聞こえ始め申ししなり」(『源氏物語』)。
「たへたることなき人だに身の沈むをば憂へとする事を。理(ことわり)なり」(『宇津保物語』:この「たへたる」は、すぐれたる、ということ。「理(ことわり)なり」は、前途有望な季英(すゑふさ)が歎くのももっともだ、ということ)。
「耐 …タフ シノフ」「荷 ……ニナフ……タフ」「勝 …カツ マサル スグル タフ」(『類聚名義抄』)。