◎「たへ(妙)」

「とあへ(と堪へ)」。「と」は助詞にもなっているそれですが、T音の思念性とO音の目標感・客観的存在感・内容感により思念的に何らかの内容感を表現する。「あへ(堪へ)」は完成感・完全感を維持する状況になっていること。すなわち「とあへ(と堪へ)→たへ」は、思念的な何かを維持すること、それが維持されていること。思念的な何か、とは、夢や理想のような、思念的な世界にしかない、人の力の及ばない、神秘的な何かや美しい感銘をうける何かです。それが人に維持されてしまうこと、それが「とあへ(と堪へ)→たへ」。

「開眼ノ日ハ紫ノ雲ソラニミチ妙ナルコヱソラニキコユ」(『三宝絵詞(観智院本)』大安寺大般若会:この「妙ナル」は「メウなる」の可能性も絶対にないわけではありませんが、「たへなる」でしょう。「メウ(妙)」は、心惹かれるがなぜそうなるのかわからない、といった思いを表現しますが、巧妙(コウミョウ)のように、技術的なことに言われることが多い)。

「深ク薬師如来ノ真ノ身、妙(タヘ)ナル躰ヲ慕(シホ)ヒ給ヘリ」(『東大寺諷誦文稿』:「しほひ(慕ひ)」は、「しひおひ(強ひ追ひ):「しひ(強ひ)」はそれが宇宙や自然のおおいなる意思であるような情況でその動態があること→「しひ(強ひ)」の項」、ということでしょう)。

 

◎「たへ(栲)」

「つやあへ(艶堪へ)」。「つや(艶):清浄新鮮な美しさ」を維持していること、そんな印象のもの。これはある種の植物(樹木の皮)から採取し精製した線維、それを織った布を言う。純白で光沢がある。さらには布一般を言い、布一般に対してはこの語は美称として用いられている。

「臣(おみ)の子は 栲(たへ)の袴(はかま)を 七重(ななへ)履(を)し 庭に立たして 足結(あゆ)ひ撫(な)だすも」(『日本書紀』歌謡74)。

「御服(みそ)は明るたへ、照るたへ、和(にき)たへ、荒たへに稱辭(たたへごと)竟(を)へまつらむ」(「祝詞」『祈年祭』)。