「たへいつよし(妙稜威良し)」。「へい」が「ふ」になり「つよ」が「と」になっている。「たへ(妙)」は神秘的な何かや美しい感銘をうける何かであり(→「たへ(妙)」の項)、「いつ(稜威)」は客観的に対象化した主体からエネルギーのような、光のような何かが進行し言語主体は時空的に「射られ」の状態になる―そうした自己の存在感(→「いつ(稜威)」の項)。神秘的な美しい感銘をうけるその稜威(いつ) の自己経験しての受容表明が「たへいつよし(妙稜威良し)→たふとし」。基本的な意味は、非日常的な深い感銘をうける肯定認容を表現する。「かなしび(悲しび)」の活用語尾にあるそれのように、状態や情態が感じられること、現れていることを表現する「び」とそれが意思動態的に変化した「み」による「たふとび(尊び)」「たふとみ(尊み)」(どちらも上二段活用)という動詞もある。四段活用の「たふとび(尊び)」「たふとみ(尊み)」もある。
「赤玉(あかだま:阿加陀麻)は緒(を:意)さへ光(ひか)れど白珠(しらたま)の君(きみ)が装(よそひ)したふとくありけり」(『古事記』歌謡)。
「父母を 見れば貴し(多布斗斯) 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世間(よのなか)は かくぞことわり」(万800)。
「加持(カヂ)の僧ども、声しづめて法華経を誦(よ)みたる、いみじう尊し」(『源氏物語』)。